贈物

□永久に傍に貴方と共に
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ここ一週間で保健室に運び込まれた生徒は23人。病院に搬送されたのは14人。
保健室の23人中、1人は貧血。1人は外の体育の授業中足を捻って捻挫。この二人を除く21人と病院送りの14人は並中の風紀委員長様に咬み殺された犠牲者だ。

…雲雀恭弥は不機嫌だった。
それはそれは大層不機嫌だったので、目につく群れを片っ端から地に沈め、なんとか気分をあげようとしていたのだが、無駄なあがきとなっている。

雲雀はニ週間前から風邪を引いていた。
風紀の仕事が忙しかった為、無視して動いていたのだがここ一週間症状が酷くなっている。微熱が続くし、喉も慢性的に痛む。最近は節々も痛み体も重い。
たまに喉が詰まるように咳が出た。
完璧に風邪を引いていた。


「だるい。」


そう言いつつもきっちり朝6時半に並中に到着した。風邪が悪化すると重々承知してはいるが身体が鈍っている分、書類の処理能力も下がっている。…仕事が溜まっているのだ。三分の一は苛ついた雲雀がところ構わず咬み殺しているから増えた書類なのだが、そんなことにも頭が回らない。

風邪を引いてやっと上の上な凡人になるので、雲雀が酷い風邪を引いていると周りは思っていないだろう。せいぜい引き始めぐらいにしか感じていない。しかし昨日は不法侵入者を見逃してしまった。失態だ。


「でも…」


あれは果たして人だろうか。
もしかしたら幻覚が見える程危ない状態なのではないのだろうか、と小さな危惧。
それでもやはり仕事は放置出来ず、今日は一切外に出ずに書類整理。何度か草壁が書類を受け取りに来る程度で平和な一日だった。色んな意味でも並中も平和だった。


「……。」


今日の分の書類まで何とか追い付き、あと少しで今日の分が終わろうとした頃には、もう空は朱く色付いて目に優しい橙色が広がっていた。昨日不法侵入者が入って来た頃だ。気まぐれに立ち上がると身体が軋んだ音を起てる。病中の身体に長時間のデスクワークは些か酷だった。もう帰ろうか、そんな気持ちで応接室の扉を開く。


「……君…」

「こん…ばん、は」


言いにくそうに侵入者が挨拶をする。
今の時間はこんにちは、かこんばんは、か…どうでも良いことを優秀な脳内に浮かべ折角尋ねてきてくれた獲物を前に、溜息を零した。


「何しに来た訳。」

「えっと…」


何も考えていなかったのか口ごもるのに言いようのない疲労が雲雀の中に込み上げてきた。もはや咬み殺すやる気も起きない。


「用がないなら帰ってくれない。」


帰るために開けた扉を渋々閉めようとすると待って下さい、と小さく制止を促された…いい加減うんざりである。


「用はないんだろう?邪魔。」


何故か傷付いたかのような顔をして俯く。
わざわざ同じように侵入までして一体何がしたいのだろうか?


「あの、……俺、」

「何。」

「人じゃないんです。」


…ついに熱に浮かされてしまったようだ。いや、雲雀は昨日の夕方からずっと酷い熱に浮されていて、実はこれは夢かもしれない。夢の中で仕事を頑張ってしまって馬鹿らしいことをした、と思考が回る。


「鬼火なんです、狐火とか色々名前はありますけど、鬼火の綱吉、て名乗るように心掛けてます。」

「……それを僕に言って何になるの?」

「………信じて、ませんか?」

「信じろ、て方が変でしょ?」


侵入者がまた傷付いた顔をする。
酷い夢だ。こんな得体の知れないものに会うなんて…平和な一日を演じてみせた夢にいっそ感嘆してやりたい。こんな終わりを用意していたとは聞いていない。
現実逃避が雲雀の中で行き過ぎる。


「触ってみてください…今の貴方は俺には触れられないですから。」

「悪い夢なんだから当たり前だろ。」

「…夢なんかじゃないです!」


突き出された手は普通に触れられそうだ。自分より一回り程は小さい手。
それでも小さな掌にしては指が長く細い。
この夢を終わらせるために、その小さな手に触れようとする。


「!」


見えているのに自分の手は空を掴む。
やっぱり、そう呟きながらも切なそうな顔で僕の手と自分の手を彼は見つめている。


「……意味がわからない、」


どうしてそんな切なそうな顔をするの?
自分が人じゃないことを証明したのだから目的は達した筈ではないか。


「でも、分かってくれましたか、…俺が……俺が人間じゃない事、鬼火だって事。」

「鬼火かどうかは知らないけれど人間じゃないのは確かみたいだね。どちらかと言うと僕には幽霊に見えるけど。」

「……幽霊なら、良かったんですけど…」


良い訳あるか、そう口に出せず、未だに切なげな彼の顔を見続ける気も起こらず、扉のドアノブに手をかける。


「もう満足?じゃあね。」


返答を聞く前に扉を閉めた。一分一秒でも早くあの表情を視界から消し去りたかった…あんな顔をさせたい訳じゃないのだ。
しかし初対面の彼にどんな顔をさせたいかなんて考えつく筈もないし、何故そう思うのかも分からない。自分は鬼火だ、と彼は言った。確かに夕日に溶け込んでしまいそうな雰囲気ではある。人とは違うと感じたのはある意味正しかったのだろうか。

その人とは違う気配が薄いとはお世辞にも言えない重厚な応接室の扉の向こうにまだある…一歩も動かず、ただいる。

窓から飛び降りて帰れとでも言うのか。
頭を悩ませていると急に肺の奥からせり上がるように空気が押し出されて来た。既に傷付いている喉を更に切り裂くように肺から押し出された空気が喉元に差し掛かる。

扉の向こうには人ならざる者の気配。
体調の悪い自分など感づかれる訳にはいかなかった。弱みを握らせる訳には。


「…っ」


空気が外に漏れないように唇を固く引き結ぶ。押し戻せなかった空気が鼻から抜け、くぐもった咳が続いた。
口元に片手をあて、もう片方でソファーの背もたれを使って身体を支える。咳はまだ止まらない。酸素が薄くなり前かがみに倒れかかるのを何とか全力で遮った。そんな雲雀の背を誰かが優しく摩る。


「…!」

「喋らないでください。」


先程と同じ声が雲雀の耳を掠める。
どうやって、いつ入った、そんな言葉すら咳に阻まれて言えない。身体を支えていた手を彼の手が覆う。先程と違い、ほのかにその手は橙色の光を放っていた。夕焼けと同じ色をした、温かい手だった。体温はほとんど感じられない。だけど視覚的になのか、とても温かい。懐かしい手だった。
背を摩る掌も重ねられた手も、全て懐かしかった。自然と呼吸も落ち着いてくる。

傍にきて初めて分かったが、彼は自分よりほんのり背が小さい。顔があどけないからもっと背が小さいと思っていた。


「ゆっくりで良いですから、ゆっくり呼吸してください。」


ああ、彼は声まで温かいのか。鬼火と称するだけあるなぁ、そう思った。体調を崩して人一倍警戒心が強くなっている雲雀にですらその声は心地良かった。


「あ、……すいません、つい…」


雲雀の呼吸が正常に戻ると、途端、彼は申し訳なさそうに手を離した。何故謝るのだろう、疑問に感じつつ別に、と答えた。


「…手、」

「え?」

「手、触れるじゃない。」


何だか気恥ずかしくなって目線を窓の向こうに向けながらボソッと呟いた。


「!…そう、ですね、はい。そうです。」

「…………なんで泣くの。」

「すいませ…、」

「君、鬼火なんでしょ?泣いたら消えるんじゃないの。」


すっ、とヒバリの指が綱吉の頬に触れた。本当の涙なのか確認するように。
綱吉は触れようと、触れさせようと一切意識していなかったのにその指は確かに綱吉の頬に、涙に触れた。


「……大丈夫、です、消えないです…」


またこの言葉を聞けるとは思わなかった。また触れられると思っていなかった。
悲しくない、嬉しい、ねえ、嬉しいよ……
言うに言えず、何度もその言葉を頭の中で繰り返した。ヒバリが綱吉を認めてくれた…鬼火という今の世界には存在しないと決め付けられた存在を。だからもう一度ヒバリに触れることが出来た。


「…そう。」


ヒバリが微かに微笑んだ。
やっぱり笑顔のが素敵だと思った。


 
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