贈物

□闇に溺れるヒト
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喉の渇きを覚えてデーチモは目を開けた。派手すぎない質の良いホテルの窓の外には未だもやもやと漂う雨雲がうっすら視認出来る。元々眠ってなどいなかったが強張ってしまった筋肉を軽くほぐし柔らかなソファから立ち上がる。

雨のせいか予定内に目的地に着かず、仕方なくホテルを探し一晩越すことになった。どんな用事だったのかデーチモは知らないが酷く機嫌の悪くなった主をなんとか寝室に押し込みデーチモは護衛役についている。


「そうだ…」


部屋に備え付けられた冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだし半分ほど喉の奥に流し込んだ。渇きは癒せないと分かっているがせめてもの慰みだ。


「やばいよな…」


記憶を失う前のことは定かではないが本能的にやばいとデーチモは感じていた。身体が血を欲している。暫く前から違和感は感じていたがここ数日は呼吸が乱れたり目眩もしている。何の血でも良いから人間以外の血を口にしなければ、そう思うのに何も口に出来ないでいた。


「はあ…」


溜め息も日に日に重くなる。
その溜め息に重なるように寝室に通じる扉が開いた。


「ご主人様、」


だらしなく丸まっていた背を正し主の方を向くと手に持っていたミネラルウォーターのボトルを奪われる。


「あ……」


デーチモが止める間もなく主は残りのミネラルウォーターを口に含み飲み込む。その喉仏が妙にデーチモの心を掻き乱し、我知らず唾を飲み込ませた。


「こんなんじゃ、意味無いだろ。」


全て飲み干した主が無造作にボトルを投げるとカコン、と音を起ててボトルは綺麗にゴミ箱に収まった。
ボトルの行く末すら視界にいれる余裕もないデーチモは目も反らせないままただ黙っている。


「人の話聞いてる?」


主がぐい、とデーチモの顎を手で上に持ち上げる。そこで初めて視線が絡み合う。主より背の小さいデーチモと視線を合わせるのを何故か主は好んだ。視線が合うと彼は満足そうにただ微笑む。今もそう、ゆるりと口角を上げて笑っていた。


「ねえ、」

「……聞いてます、えっと…私は馬鹿なので意味が分からなくて…」


慌ててしどろもどろしながら答えるも会話の内容に全く関係ないようなことでまた主の機嫌が悪くなった。


「わたし…?」


主の瞳に不穏に輝く光にやってしまった!と血が足りず青い顔をデーチモは更に青くした。


「お、…俺馬鹿なので、その……ご主人様の質問の意味が分からなくて、それで……」


同じ内容を繰り返すも聞く側の機嫌は頗る良くなった。それを感じてデーチモは心の中だけで胸を撫で下ろす。


(普通逆だよな……)


主はデーチモに様々な命令をする。しかしその大半は彼の仕事に微塵も関わらない些事だ。今のように一人称を同僚と話す時と一緒にさせたり、膝枕をさせたり、紅茶を淹れさせ、髪を乾かさせ、睡眠を主の傍で摂らせる。おかげで一日のほとんどをデーチモは主人の傍に置いていた。


(まあご主人様がそれでいいならいいけど。)


第一デーチモには拒否権などない。覚えてもいない薄れたバンパイアの誇りより彼は主への忠誠をとったのだから。


「血が、」

「え?」

「血が足りないだろう?」


主の言葉にデーチモは冷や汗を流す。間違っていない。間違ってはいないが何時バレたというのだろう。自分でいうのも何だがデーチモはとろい。万全でもとろいし不調でもとろい。見た目だけでデーチモの不調は見抜けないはずだった。


「僕は君の主だよ。分からないことなんてない。」

「は、はあ…」


曖昧に返答してみたがどうにも腑には落ちない。しかし彼がそういうのならそうだろうと思わざるおえなかった。


「此処に着いた時もいらない怪我したでしょ。」


背を正してからずっと握り締めていた両手を主にとられ思わず今まで動かせなかった視線を主以外に流す。


「で、でも草壁さんがいない今俺が…」

「言い訳は嫌いだよ。」

「うっ…」


怪我をしているようでは護衛に向かないと言われているようでデーチモは気まずそうにまた視線を別に向けた。その視線を先程のように再度自分と合わせ主は冷たい目で不機嫌そうに口を開く。


「何か勘違いしてるでしょ。」

「え…?」

「君が無駄に血を流したことに怒ってるんだよ。君の無能さを嘆いてるんじゃなくて。」


真っ直ぐな瞳にデーチモの世界がくらりと揺れた。それはデーチモの価値観や考え方かもしれないし、貧血で起きた目眩かもしれない。しかしデーチモと主の間には確実に主従以上のものがあった。


「でも…」


何の考えもなしに意味もなく零れた言葉をデーチモの唇に長い指をあてて主が遮る。


「君は黙って僕に従ってればいいんだよ。」


その言葉の意味するところが分からず暫しデーチモの思考回路が停止する。デーチモが固まってしまったのをいいことに主が彼を引き寄せると今度は物理的にぐらりとデーチモはよろめいた。


「もう何ヵ月もその状態でしょ。仕舞いには死ぬよ、君。」

「……、」


死んでも構わない、でかかった言葉をデーチモは飲み込む。今はもう言わなくて良い言葉だ。

思考回路がどんどんと吸血行為への衝動に侵されていく。目の前にいる人がどんどんただの人間に、餌に見えていく。熱い。荒い息がお前は所詮魔物なのだと嘲笑う。ぐらぐらと視界を揺らしたのは焼ききれそうな理性。
そこでデーチモの理性は途切れた。


 
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