MONO MOLTOR 第七番目のLogos

□第4章:神都Alcapaと神の巨像
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大樹はしばしば、Logosの神殿、Ideaの小道の最果てに、最完全なる神の姿を探していた。
神殿のパズルを解き進めながら、その最奥に語りかけ、返事を期待し耳を澄ませている。
時には耳を澄ませる事をすべきこととし、それを全てとする大樹もあった。

神とは即ち万事無限の可能であり、全てと同時に相互作用する最完全者。
最完全とはつまり、真理。
そして真理は、Ideaの小道の向こうにあるのだと、誰もが疑わなかった。
大樹は自らの幹が天を貫けば、それを手に出来ると信じて、成長にさらなる拍車を掛けるのだった。
そう、創造者の誰もが、誰もが『超越者』に憧れている。
大空、大地、大海は、
「おお大樹よ、お前は自らがありふれた大樹である事を嫌悪しているのか?」
と、いつも小首を傾げていた。

大樹は自らを生んだ父神に、大いに興味があった。それはまるで、親を見失った迷える子供の様。
しかし神はいつになっても、創造者の目の前にも、破壊者の目の前にも現れず、何も言わず、何も示さず、
何も残さず、唯いつも人間の姿をしている。その存在についての議論は、大地にとって「???」であった。
その「???」に創造者が興味を抱き、時にはそれが使命と自らを縛り、苦しむ様に、大地は「???」だった。
「おお創造者よ、お前は自らの運命を嫌悪し、それを全うに演じようともしないで、運命を超えたがるのか?」

大地は大樹と、お互いの本質についての議論がしたかったので、
その神と言う概念は、基(もとい)論外であった。
しかし大地に根を張る大樹の論は、「ありえない、ということは、ありえない」。可能性の理。
そして矛盾だ。

「ありえない、ということは、ありえない」

を否定する証明はできない。逆に肯定する証明も、出来ない。
同類に、神の存在を否定する証明はできない。
同じく逆に、神の存在を肯定する証明もできない。
厳密に言えば、どちらにも可能性はあり、どちらにも不可能性があるのだ。

証明の可能性があるのならLogos、可能性がないのならLogosではないが、証明の可能性がある可能性は「???」、
その可能性は「???」、その可能性は「???」。
そこにあるのは唯、静止なる同じの問いの繰り返し。

つまりこの概念は、そもそもの論具となる『Logos』の枠内外を、行ったり来たりふわふわしている、
掴めぬ議論の一つなのだ。
この無限輪の名は、矛盾。
大地に言わせれば、ただの、すべきでないこと。

その可能性が否めぬなら、探究の価値は、無いとは言えないだろう。が……

しかし大地はその様な、無限や可能性や、神などという地に足を着けぬ者達の論理について、
もう小一時間も刻を掛けてはいられないのだ!!!


大地は今、死にかけているのだ!!!


大地の天災が神の怒りと解釈される時、大地の偶然が神の加護と謳われる時、
大地は創造者達に、こう問いたかった。

「君達は、真に何が自分に最も必要であるかを、見極められるのか」

と……。



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