幻想物

□砂上の華
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一段と激しくなった雨音にネイは顔を上げて、嵌め込み式の窓の桟に手をかけた。ネイが長年暮らした所とは違い、ここは一年を通して驟雨が頻繁にある。そのため雨宿りと称して酒場や娼館などに立ち寄る男達が、非常に多い。ネイの元に半月に一度通う男…も、濡れた衣服が乾くまでの雨宿りに立ち寄ったのが、そもそもの始まりだった。

その日は朝から鈍い鉛色の空で午後からは雨が降り始めて、店を開ける頃には本降りになっていた。
この分だと今日は一人ないし二人、客がつけばいい方だろうか。体の事を考えれば客がつかない方がいいに決まっている、が…日に二度の食事代、衣装代、部屋代…と名目がつけられあっという間に借金が膨れ上がり年期は長くなる一方で、年季が明ける頃には体を壊して寝たきり。
運がよければ身請けされて左団扇の生活ができるが、大枚をはたいてまで男娼を身請けするような物好きは、まずいない。

媚びる男娼たちの中で諦観の姿勢が逆に男心をそそったのか、すぐに客がつきネイはたちまちのうちに売れっ子になった。呼び出しという、店先に立って声を嗄らして客を取らずとも、与えられた自分専用の個室でネイは客が来るのを待つ。通って来るのは呼び出しが呼べる金払いの良い上客が主になる、が中には筋のよくない男もいる。縛って鞭打ったり、蝋を垂らしたり、肌を切ったり…。

前夜の客もそういった嗜好の持ち主で、いつもより疲労の残る顔を隠す為に、ネイは濃い目に化粧をした。眼の下の隈と顔色の悪さはこれで何とかなるだろう。仕度を終えてネイはぼんやりと呼び出しを待っていた。
─と突然、轟音と共に嵌め込み式の窓の隙間から雨が吹きつけて、あっという間に床の絨毯に染みを作った。濡れて使い物にならなくなったら、また借金が増える。慌てて鎧戸を閉めようとして、強い視線を感じた。

驚いて窓の外を見るが、土砂降りの雨の中で通りを走る姿はあっても、立ち止まって此方を見ているような人影はなかった。
確かに鋭い射貫くような視線…まさかとは思うが追っ手、だろうか。ネイの顔を知る者はいないはずだが、母によく似たこの顔、宮廷に出入りしていた者が見ればすぐに…それと分かるだろう。

見つかったら…どうなるか。

若い王妃は国に戻され、国王と王子は虜囚の身になった後、斬首されたと聞く…。一族を根絶やしに、反逆を企てる者は一掃せよ、厳命が下されて二年近くになる。見つけた者には、褒美が与えられる─その為、密告が後を絶たなくて、皮肉なことにここにいたから、ネイは助かったのだ。
足元の絨毯に視線を落として、ネイは小さく笑った。
助かった…とも、死にそびれた、とも言えるが。どちらであっても、ネイに選択権は与えられなかったのだから、同じ事。
そう、だ。今更どうなるものでもないのに、埒もないことを…。乾いた笑いが口から零れ、次いで涙が流れそうになるのを堪える為に、震える手で乾いた布を絨毯に押し当てて水分を取った。そう、優先すべきは己が境遇を嘆くことより絨毯の方だ。水分を含んだ布はすぐに取り替えて、手早く叩くようにして水分を布に移していく。何度か繰り返すうちに濡れて変色していた部分が綺麗に乾き、一見しただけでは分からなくなった。
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