小話

□与太(者たちの)話 7編
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「あー、もー腹立つ腹立つーーーーー!!」

ドカ、ズカ、ドスッ。響く鈍い音にパーテーションで仕切った通路を隔てた向かいの部屋で、部下に指示を出していた畑野はかすかに首を振った。

またか…。ああけれども自分が行かなくては他の誰も行かない、いや行けないであろう…。背中突つき刺さる男たちの縋る視線に、畑野は重い腰を上げて、怪奇音のする部屋へと向かった。

背中には『ありがとうございます…畑野さん』と拝むむさくるしい男たちの涙があったのを畑野は知らない。



コンコン。鍵の掛からない部屋の為、通り一遍のノックの後、畑野は返事を待たず扉のノブに手をかけて部屋の中へと入った。何故、鍵が掛かっていないかというと、いちいち開けたり閉めたりするのが面倒くさいという理由からビルの持ち主で社長でもある富田の母富美子が鍵を取っ払ったからである。



「…………なんでやァ?なんで、あんなかわいないこと言うねーーーんッ!かわいない、かわいないぞこらァ!」

畑野の想像していたのと寸分違わぬ─部屋の主であり畑野の上司の富田尚之が、ファイルや決済書類を部屋中にばら撒き、壁という壁にくっきりとした靴跡を残し、ソファでもんどりうって見苦しく喚く─状況であった。

「………………………」

過去の自分の選択を悔やむ瞬間だが、後悔していても始まらないのだ。現状を打破、これ以上の被害を回避すること、それが急務である。

「……若」

「くっそーくっそー。なんであないに口が悪いねん。かわいないかわいないぞっ!」

「…………若」

「あああああああ〜〜〜〜もう、腹立つ腹立つ、ほんまになんでやー!」

「…………………若…」

「あんな怒ることなんかあらへんやろー、俺が何したゆーねん!何ぞ俺が悪い事でもしたか?」

「……しはりましたでしょうが」

「あぁア?…何や畑野、お前そこおったんか」



白々しい…畑野が部屋に入ってきたのをチラリと横目で見ていたであろうに…。が、これくらいのことは富田と付き合う上では日常茶飯事のことだ。慣れたもので畑野も澄ました顔で答える。

「はい、つい先程」

「ふん。…で、何やて。俺が何したて?」

答え如何ではただでは済まさない、と富田は畑野を睨みつけた。

「改めて私が言うまでもなく、何をしはったかは若が一番よう分かってはるでしょうに」

「…!」

畑野の冷たい言葉に、富田はぐへっと潰れた声を出した。

「そそそっ、それはやなァ…まーくんが悪いんや。悪いんはまーくんや!」

「…………………その台詞、河合さんの前でも言えますか─若?」

言えないだろう、いや言ったら終わりだということは、これまでの付き合いで当事者の富田は身に染みている。

「ぅ〜〜〜〜〜〜。やってやってやってえぇぇっ!…あんな頬っぺた膨らまして涙目で口一杯に太ーて黒いのん咥えとったらそら男やったらやるやろやらなあかんやろやらんかったら男ちゃうがな、玉ついとんかゆーことになるやないかァッ!俺は男やゆーの証明しただけやないかァッ、せやなのになんでどつかれて蹴られて一生顔見たないゆわれなならんねーんッ!!!!」



そう一息で喋り、いや雄叫び終えてハアハアと息荒く拳を握り締め、富田は腫れ上がった己の右頬を畑野に見せる。最近、整った顔に大人の包容力や落ちつきが加わり男の色香が増したと、巷(特に新地など)では噂されているようだが…。『大人』『包容力』『落ちつき』どこをどうしたらそう見えるのか、実像から程遠い評価に畑野は内心首を捻ると同時に、万分の一でもいいから富田にそれらが備わっていたら…と嘆いてやまない。

無言で胸元から携帯電話を取り出し、フリップを開けて電話をかける振りをする─と、途端に富田の顔色が変わった。その食いつきに、思わず畑野の口元が小さく歪む。

「なっ、なななななっ何しとんねん、お前っ!」

ソファから転げ落ちたかと思うと、畑野の腕に飛び付いて携帯電話を奪おうと手を伸ばす。勿論、富田の行動など予想がついていたので、寸前で手を後ろに隠して畑野は笑顔で答える。

「何て、河合さんにお電話差し上げようとしてただけですが、何か問題でもありますか?」

んぐっと苦虫を潰したような顔の富田は「大ありじゃ」とボソリと呟く。

「若のお言葉をお伝えして、それから今週はどうしはるか河合さんにもお尋ねしとかんと、ちょうど12日は振替休日でお休みで、本家の方でも色々行事ごともありますし、熱心にお誘い頂いててますしここらへんで顔を出すのんもええと思います…」

「行くか、そんなモン。けっ!…大体、11日から15日までは旅行行くて前々からゆーてたやろ」

「………………若御一人で、ですか?」

「あ、アホかッ!何で俺一人であんなさぶいとこ行かなあかんねん。まーくんと一緒に行くに決まってるやろ。わざわざ一年も前から予約取ってたんやぞ!」

激昂した富田はふるふると握り拳を震わせて、射殺さんばかりに畑野を睨んだ。

「クソエロ馬鹿男」

「!」

富田のきつい視線をさらりと受け流して、畑野は涼しい顔で続ける。

「今年もお前のせいで不幸続きになるじゃないか」

「!!」

「お前の顔なんて一生見たくないんだからなあぁぁ…」

「!!!」

あえて抑揚をつけず、しかし語尾まで正確に河合の言葉を再現され、富田の顔から怒りから驚愕へと変じた。



「…でしたっけ?」

「お、おまっ、何で…何でまーくんの台詞知ってんねんッ!」

「さぁ…何ででしょうねぇ?」

やれやれと溜息混じりで見返す畑野を、嫉妬で全身を覆った富田は気がつかない。ぐるぐると低く唸り、畑野の首を締め上げようとする。

「出歯亀しとったんか!…ま、まーくんのアノッ、顔をッお前は見てたんかアァッ!!」

出歯亀って…あんたじゃあるまいしそんなことしますかいな、と首を締められながら心の中で畑野はごちる。誰が聞きたいものか、他人のあれやこれやなど…。ドッタンバッタンとすわ殴り込みかと思うような音(ランプシェードを薙ぎ倒し、ソファの脚を折った音)をさせておきながら、本当によく言う…。

「………わ、若、ちょっとちゃんと聞いて下さいッ」

だが、いちゃらこちゃらを覗いていた、と嫉妬で狂った富田をこれ以上暴走させてはいかな自分でも無傷では済まない。休暇を合わせて偶の逢瀬を心待ちにする年上のかわいい恋人がいるのだ。今怪我などしたら…無休で働いてきた半年間が報われない。

「なァにがやァァ?」

ああん?と凄む様は輩そのもの。いっそ前科何犯の凶悪犯と言っても差し支えないほど…。

ふうっと大きく息を吐いて、畑野は続けた。

「ええですか、誰も聞きたくて聞いた訳じゃありません!あんな…カチコミみたいな音したら誰だって気になります。廊下に出たらちょうど若と河合さんの声が聞こえてきたんです!扉開けっ放しにしてはったんはどこの誰です?」



後先考えず河合にまっしぐら、飛びついたのは富田である。

「そそそそそそれは……」

途端に、旗色が悪くなって富田はしどろもどろで言葉を濁して視線を左右へと動かす。明らかに思い当たる節があるのだろう。すかさず、畑野も止めを刺すのに躊躇はない。

「先程のやりとりの後、河合さんが涙目で部屋から飛び出して行ったのを、何とか宥めてホテルまで送り届けたのは私と太郎ですよ?」

「………………」

「……道々たっぷり何があったのか河合さんからお聞きしました…」

ていっと首にかけられた手を払うと、畑野は心底呆れたという表情で富田を見つめる。

その責めるような視線に、富田は「もうええわいっ、ああそうや俺が悪いんや何もかーんも俺が悪いんやお前がバレンタインに恋人と逢われへんのも俺のせいなんや。そうやなァ?畑野」

けっと開き直り居直り強盗よろしく、へらへらと笑って口を開く。



「ええと時の雫やったっけェ?温泉でのんびりしよ思とったのに残念やなァ?」

年寄にはやっぱり温泉かー、そうやなぁ、聞こえよがしに富田は続ける。

「!」

ふふんと笑う富田の顔が今ほど憎らしく見えたことはない…。

口惜しいがここで自分が引かねば、富田は畑野の休暇が取れないように画策する、絶対にやる…。そういう性格だ。半年前からどこがいいあそこがいいとメールや電話で二人で場所を選んできた。今回の小旅行を年上のあの人はどれだけ楽しみにしているか。着ていく服がないからとわざわざ洋服を一式揃えたと先週嬉しそうに電話口で話してくれたのが、耳にこだまする。



「……………………分かり、ました。とりあえず河合さんの11日の身柄は、私が確保します…」

「当然や」

うんうんと頷く主の顔を殴りたい、いや殴っても…きっと誰も畑野を責めないに違いない。むしろよくやったと賞賛する声が多いだろう。

「ちゃあんとまーくんの機嫌を直して連れて来いよ?」

分かっとるやろな、とあれもこれもと命じる富田に、畑野が一矢報いるのはまた別の話になる。



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