現代物
□君の涙に虹を見た…
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≪君の涙に虹を見た…。≫
ああ、またやった。何べん同じ事を、やったら気がすむんだ、こいつは。バカか。
広いフロアの中の狭い一角…。コピー機の前で青い顔をして右往左往しているヤツが。
周囲を見回して助けを求めているが、皆知らん顔だ。いつものことだと。
ピーピーピー、電子音が鳴り響く。
どうにも、たまらず俺は。
「どうしたんですか?」
ビクンッ。
薄い肩を震わせて振り返った。…おい、男だろう?ベソかいてるじゃないか。
第一、昼間だぞ…あんた。
「あ…どこか間違って押したみたいで…動かっ…ないんです…」
どうしようっ、とボールペンを握り締める指が白くなってる。
白くて小さな手。ボールペンがクラリネットに見えるぜ…。見間違いでなけりゃあ。
小さい子供の手だよ。
顔色は真っ青でぶるぶる震えてる。おいおい…。
俺は、優しくもないし親切でもない。人から感謝されることが、大嫌いで気持ち悪くて仕方ない。
そんな俺なのに。
「…ええと、たぶん大丈夫、すぐに治りますから」ってにっこりと、営業スマイルで答えてる始末。
いや、そりゃ俺はコピー機の営業と点検が仕事だけどさ。
いっくら仕事でも、インクやらで汚れて、せっかくのスーツが…って可能性もあるわけだ。
俺がいくら一部上場企業とやらに勤めていても、手取り二十万ちょいの、サラリーマンだ。
汚したりなんかしたら、クリーニングしたりして、明日から着る服に困るのだ。
給料の大半は貯蓄と投資、これが基本。無駄な買い物は一切しない。
当然、金のかかる付き合いはお断り!という性格故、自分で言うのも何だけど、ルックスや高学歴の割にモテない。
乗りかかった船だし、このまま放っておくのも寝覚めが悪い。
まずはコピー機のカバーを外して、紙送りのトレイ部分を細かく色々と、見ていった。これで大抵の場合は、原因が分かって対処方が出てくる。
よくある故障の原因は、案外単純なインク漏れや紙詰まりがほとんどだから。
小さな紙の切れ端が挟まっていて、詰まったみたいだった。取り除いて、インク汚れもついでに拭いておく。
それから、設定された内容を確認して、試し刷りをしてみた。
多少掠れてるけど…これで大丈夫だろう。
十分ほどで何とかコピー機は、動くようになった。
ギー、ピピッ。
「もう、大丈夫ですよ。設定し直しましたから。すぐ使えますよ」
ぱっと顔を輝かせて、俺の方に向き直った。
「ありがとうございます!良かった〜壊しちゃったかと思った。は〜」
本当にありがとうございますっ!ぴょこんっと頭を下げて、俺の手を両手で握る。
「やっぱり、コピー屋さんはすごいですね〜、俺びっくりしちゃった。すぐに直るんだもん。あはっ」
古川さん、でしたよね?…すごいです〜と人の良い笑みを浮かべて、取引先の年下の俺に感嘆の声をあげるのは、美若食品株式会社総務課の男。
東千代ノ介。名前負けしてると誰もが思う、ドン臭さ。
俺は、この会社に来るたびにあいつを見ると、神経がぶち切れそうになる。
イライラするのだ。
何となく、釈然としないまま総務を後にして、営業部のフロアに入った。
総務は三階で、何故か営業部が二階という、変わった会社だ。
営業部ということで、ほとんどの人が出払っていたが、一人デスクで何か書き物をしているのが目に入った。あのデスクは確か…。
やっぱり大野さんだ。俺はこの人が、割と好きだ。口調も優しいし、何より年下だからって、俺のこと馬鹿にしたりしないし。
他の人は、特に年配の人にそういう所がある。まあそれも、コンプレックスの裏返しだと思って、俺は気にしないようにしてるけど。
大野さんは確か三十代半ばで独身らしい。らしいって言うのも本人の弁じゃなく、噂をしていたのを耳にしただけだから。
事務の人が「勿体無いわ。優しいし給料いいし〜」と残念そうに言っていた。
「あ、古川くん。久しぶり」
デスクから頭を上げた大野さんは、俺を見て立ち上がってわざわざ、挨拶してくれた。こういう所が、上手いんだよな。さり気無くて。
挨拶もそこそこに、コピー機のメンテをしながら、世間話をしていた。
堅実路線の会社で大丈夫とはいえ、人不足でもないこのご時世で…。よくあんなドン臭いのを、会社に置いとくもんですねーと、うっかり口を滑らせた。