現代物
□欲しがりません、勝つまでは…。
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始業を知らせる予鈴が響いて数分後、机に突っ伏していた上田夏生はゆっくりと顔を上げ、教室の正面にかかる壁時計をじっと見つめた。
今日も遅刻ギリギリで来るつもりか。上田は自分の前の席を見て、小さく笑う。教科書やらルーズリーフは相変わらず机の中に入ったまま、家に持ち帰った形跡はない。まぁ和泉の性格からして、まず宿題、それも数学のプリントなんてやってこないだろうが…。日々の地道な努力が何事も肝心、手なずける為に、何でもする。それが上田のスローガンとなって一年が経つ。
足元に置いていた学生鞄から数学の教科書や問題集など一式を取り出し、机に置いておく。さり気なくプリントを教科書の間に挟んで、前の席に座る向こうから見えるように。
ちらと自分の手元に目を落とす。
予鈴がなったのは三分前で、秒針はかちかちと進み、八時三十四分をさしかけて、猛スピードで廊下を走る足音が響いている。あと十秒、九、八、七、六、五……ジャスト!
勢いよく教室の前の戸が開いて、息を切らせながら鮎川和泉が教室へ飛び込んで来た。
「うわ〜、きりきりセーフ!」
毎朝のことだから、クラスの誰も驚かない。ああ、まただなと思うから見もしない。机の間をすいすいと抜けて、自分の席へと向かってくる。
ぴょんとはねた前髪、頬に残るシーツの跡、ということはまた…家に戻らず女の部屋からの通学なのか。年上好きと公言する鮎川はOLやホステスの部屋を転々としている。
とたんに上田の胸はちくりと痛みを覚える。─が、表面上はそんなことおくびにも出さない。やれやれといった表情を作り、ため息混じりに「おはよう」と声をかける。
「んー」
和泉はぼうっとした表情でこっくり頷く。椅子に腰を下ろして、上田の机に乗っかっているものが目に入ったのだろう。にっこり、愛想のいい笑顔を顔に乗せると「ちょお、貸して!」と上田の返事を待たずにプリントをひったくった。
教科書からプリントを探し出して、丸写しは悪いと思ってか一問飛ばしで答えを写していく。
せっせとシャープペンシルを動かしている姿は、本当に小説や漫画に出てくる美少年、美少女そのものの姿だと思う。
斜め四十五度でちょいうつむき加減…たとえ髪の毛がはねてようが、制服のブレザーの下に似合いもしない虎縞模様のTシャツを着ていようが、だ。そんなことが消し飛んでしまうほどの美貌の持ち主だ。
綺麗な孤を描く眉の下にある大きな黒い目、ばさばさと音を立てそうな睫毛、すっと通った鼻に薄桃色の唇。テレビに出てくるアイドルなんて霞んで見えるくらい、本当にかわいいくて綺麗だ。
慣れたもので、数学の教師が一階下の職員室から教室に来るわずか三分で、プリント二枚を写し終えていた。
「おーきに」
ぼそっとそう言って、鮎川はくるりと背を向ける。答えを写させてもらってこの態度…取ってつけたような礼と態度に、毎度のことながら上田は苦笑いを浮かべる。まぁそれでも、入学当初に比べれば格段に愛想がよくなったし、普通に話すようになったのだが…。
眠気を誘う数学の授業を右から左へと流しながら、上田は一年前のことを思い出していた。