みじかいの

□壬京の
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■ 霧笛 ■

二人で過ごすとき、たいてい僕は本を読む。

蓬莱寺は、本を読む僕の隣に寝転んで、たいてい、そのまま寝てしまう。

会話はあまりない。

なんとなく時間を共有し、腹が減ると一緒に食事を作って食べたり、出かけたくなると、二人で夜の道を歩いたりする。

気配が、気に入っている。
遭難者のような時間が。

誰か、ではなくて、蓬莱寺が傍にいる気配が、僕はとても気に入っている。



食事の後片付けを終え、蓬莱寺は大あくびをしながら、床に寝そべった。

「風邪、ひくよ」
「あとで布団、入るって」

僕は読みかけの文庫本を鞄から取り出し、蓬莱寺の横に座った。

「なんだ、今度」
「短編集。読むかい?」

でたらめに伸ばした手で、本の背表紙をなぞり、蓬莱寺が訊ねる。

僕は、ちょうど読んでいた部分を一節、朗読してやった。

「なんか、難しそうなの読んでんなあ……」
「読み終わったら貸そうか?」
「んー…」

無理にとは言わないよ、そう僕は笑い、蓬莱寺はつまらなそうに横を向いた。

時計の針。
ページをめくる音。
ときどき聞こえる、吐息。
ゆらゆら夜が更ける気配が、僕は気に入っている。

「……なぁ」
「うん」

もう眠ったかと思っていた蓬莱寺が、ふいに話しかけてきた。

「それ、どんな話だ?」
「不思議な話だよ。霧の夜の話」

請われるまま、僕は本のあらすじを説明してやった。

灯台がある。
船が難破しないように、霧が濃い夜には、霧笛を鳴らす。

霧笛はまるで恐竜の鳴き声のように聞こえる。

深い海の底、たった一匹だけ、何百万年もの時間を生き延びた恐竜がいて、霧笛を、聞いている。

滅びた自分の仲間が呼んでいるのではないか、自分はひとりぼっちではないのではないか、そう思い、「仲間」がいるかもしれない灯台に向かう。

霧笛とそっくりの鳴き声を挙げて、何年も何年もかけて───

「……恐竜は怖れてたんだ。ずっとずっと、待ちこがれていた相手を見つけたと思った。さみしかった。だから」

はんぱに引いたカーテンの隙間に見える暗闇、夜が、視線を吸い寄せる。

「もう待ちたくない。ひとりぼっちで取り残されたくないから、恐竜は灯台を壊すんだ。それで、おしまい」

恐竜は、再び海の底へ去って行く。ひとりぼっちの眠りにまどろみながら、いつかまた、自分を呼ぶ声が聞こえるまで。

「……僕は、ときどき恐竜みたいな気分になるよ。君が、いないとき」

いつか。

蓬莱寺がいなくなることがあるなら、今、手の届く場所にいるうちに、自分が───

僕の膝に、蓬莱寺の頭がぶつかった。

「……だから、風邪を引くよ」

穏やかな寝顔をそっと撫で、僕は蓬莱寺を、ベッドまで運んでやった。




「───なぁ、ゆうべ」
「こぼした」

昼前に起き出し、朝食の席で向かい合う。

落ちた玉子焼きを指でつまんで口へ放り込み、蓬莱寺が眉根を寄せた。

「おまえ喋ってるとよ、なんか力抜けるっつーか、安心するっつーか……どうも、眠くなんだよな」
「それはどうも」
「オレ、どんくらいから寝た?」
「どこまで覚えてる?」
「えぇと……たしか」

箸先をかちかち鳴らし、蓬莱寺が自信なく答える。

「怪獣がよ、海から出てくるとこ。あのあと、どうなるんだ?」

僕は食事の手を休め、朝の光に溶ける明るい髪をしばし見つめ、言った。

「灯台には、もう一匹、恐竜が来た。他にも仲間がいたんだ。恐竜たちは一緒に海に帰って、めでたしめでたし」
「───ふーん」

それきり蓬莱寺は、昨日の話題から興味をなくし、僕は自分の嘘が何を怖れてのものかと、ずっと、考えていた。

霧が濃い日に迷わぬよう、灯台は霧笛を鳴らす。

夜。

彼の気配に、誰もいない部屋に、霧笛が、聞こえてる。





‥ end ‥


「霧笛」
ブラッドベリ『恐竜物語』収録
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