世界に零れた月の雫
□拾章
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―西暦2175年、6月、バリサウ地区・南2番街―
昨日と同じ制服に着替えたリンは、寝不足のまま不機嫌そうに朝食をこしらえていた。原因は、昨日の一件、、、いや、昨夜の一件、何故あの男は平然と人の布団<ベッド>に入ってきたのか?「変な事はするな」、と釘を刺したにも関わらず、何故、普通に服を脱がそうとしたのか?いや、それ以前に、何故、どこまで本当の事を言ってるかも分からない得体の知れない男を泊める等という決断をしてしまったのか?
リンの悩みは尽きない。
「まさか、ホレたとか…」
、そこまで言っては、違う違う、と首を振るその様子はまさに一人芝居その物だろうか。
当のアユムはと言えば、干してあった自分の服を回収、少し、湿気りは残っているようだが、これなら直ぐにでも乾くと判断したのか、二度三度、確かめて、袖を通していった。
‐余談だが昨夜、リンの暴行により、多少破損した風呂場やリン自室は、アユムによって、機能や生活に支障が無いレベルには直されている。‐
―第拾章‐意思は咆哮に染まる‐―
リンの私室、アユムは何をするでもなく、時を過ごしていた。
リンは検査に病院へ行くとの事らしい。殆ど治っているとはいえ、昨日の足の怪我の具合を念のために診てもらうという事も、あるのだろう。
リン曰く、学校には在籍しておらず、同年代への憧れから、学生服を着てはいるものの、学生ではないという。もっとも、「学生」という単語を聞き慣れていないアユムにとっては、良く分からなかったが、不機嫌そのままのリンがその疑問符に答える事は無かった。
エクアに貰った資金で衣服を買えば、後は自由に行動出来るのだが、開かれた町で軍服のまま歩くのは目立つと言っていたからそういう訳にもいかない、アユムの退屈な時間は、ジレンマを生み、やがては、リンの事について、という思考に至るのも自然な成り行きと言えるだろうか。
先ず、出てきた思考は、一見すれば、怪しげな青年と見れるアユムを何故、簡単に泊めたのか?という疑問だった。きっと、悪いヤツじゃない、そんな理由無き理由だとするならば、どこまでお人好しなのか。戦場では疑う事が先に来る。故に、自分で言い出した事にも関わらず、アユムには理解が出来ない。
そして、もしリンがその「お人好し」だとするならば、あんなにいつも怒っているのは何故か?という疑問、原因のほぼ全てが自身にあるとは露知らず、頭を捻るが解答は得られまい。
次に出てきたのは、リンの妙な[力]だ。ダメージは無いのだが、人間、それも非力そうに見えるリンの腕力で、自分が宙に舞うなど考えられない。法術を使えば勁力にパワーレーダーが反応するはずだが、それもない。
"宙に浮く"、そんな思考が過った時、アユムの中で何かの解答を得たようだ。
――そして、アユムの退屈な昼間は収束し夕方、リンが帰宅した。両手には、大きな布の手提げ袋が1つずつ、野菜が詰まっている事から、帰り道に買い物にでも寄ったのだろう。
「晩ごはん作るけど、リクエストはある?」
「いや、、なんでもいい。食わせてもらえるだけで充分だからな」
アユムのこんな言葉もあってか食事は、肉の入った野菜のスープに、蒸したじゃがいもとパンという、この地区では一般の食事だった。もっとも、スープに入っているのは、食肉用のセデムターではなく、この時代では珍しいヤギの肉で、たまたま安値で手に入ったらしい。
‐この頃には、ヤギや鶏をはじめ、牛や豚などの家畜を育てて食すという、旧時代の風習が少しずつ広まっており、年々減少するセデムターの代わりになるタンパク源として、注目されている。
牧畜家が少ないため、まだまだ高価だが、それでもヤギや鶏卵は、手に入り易くなったと言えるだろう。‐