世界に零れた月の雫

□拾弐章
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―第拾弐章 ‐とどまる世界と、進む者‐―


―――西暦2180年、3月、マドリード地区一番街

この街のシンボルと言って差し支えないほどに大きな建物、この街にあるホテルの1つだ。凶暴なセデムターも少なく街自体もそれなりに大きい為、旅人の往来も他に比べれば多いほうだろうか。


その一室、1人の男が目を覚ました。ダブルよりも広めに感じるベッドには、他数名の女性が寄り添うように寝息をたてている。

起き上がるその男は、肩甲骨の下ほどまでの黒髪が特徴的で、屈強そうな体に、身長180cm程はあるだろうか。タバコにオイルライターで火を着けると、真っ裸のまま寝ぼけ顔を引きずるようにシャワールームへと歩いていった。



シャワーを浴びながら、想いを馳せている男、それは、寝ている間に見た夢、まるで今までの走馬灯のように、駆けていった不思議な夢。

男にとっての始まりは、小さな児童養護施設、そこでの思い出は殆ど無い。
気付けば、対セデムターの為の訓練の日々、計り知れない強さを持つ者との出会いは、彼が師と呼んだ者。初めての実戦は、腰が引け、曲がりなりにも戦ったとは言えないだろう。

友になれたかもしれない者の喪失、その時に触れた、自分の身体を使う自分ではない誰か。自分が信を置いた者達の離反、やがてそれと同じ道を辿った自分、そこで出会った少女、そして、今ある仕事の相棒である小さな青年との出会い。


自分が生きてきた100年以上の月日が僅かな数時間に流れ込めば、頭が混乱するのも無理は無いだろう。

シャワーから出た男はベッドの向かいにある掛け時計を見やると、まだ眠そうな目が僅かだが見開かれた。

時計が指すのは午前10時半、確か待ち合わせは10時だったはずだ、呆けるような表情を浮かべて軽く頭をかくと、藍のジーンズに濃茶のショートブーツ、厚手の黒い長袖シャツを着ると手際よく髪を頭頂でくくり、吊るしてあったベストタイプのジャケットを羽織りながら、タバコ、ライターを片手に、未だ眠る女性達には目もくれず、足早に部屋を出ていった。


部屋の代金を払い終えた男は、宿泊施設を抜けて、2輪一対、8輪の単車に股がった。前後に大きな4輪、その脇に、接地しないやや小さな車輪がそれぞれ2輪ずつ、その少々奇妙に映る8輪車を駆って、待ち合わせをしているらしい場所へと走り去っていった。




―――
古い街並み、まるで空き地のようなスペースに広がる喫茶店、壁は無く、申し訳程度に屋根と柱が立つ風通しの良さそうな店だ。柵近くの席に腰掛け、紅茶片手に時折ため息を漏らす青年の表情はどこか苛立っているようにも映る。
ピンストライプの白いYシャツ、仕立ての良さそうな紺のスーツに薄手のコートを着こなす優男風の青年、背丈は160cm半ば程度だろうか、座っていても身長の低さが開幕見える。

「…にしても、アイツは何やってるんだ?」

、何杯目かの紅茶を飲みながら、懐中時計に目をやると現在時刻、11時過ぎ。待ち合わせは10時のはずだから、一時間以上オーバーしている事になる。そんな苛立ち募る青年、独り言のように呟かれる愚痴(それ)に、「おごるから機嫌直せ、シンジ」と、柵の向こう側から合わせてきたのは、8輪の単車に跨がる長髪の男だった。



「…アユム、」

シンジと呼ばれた青年がこぼしたのは男の名前だろう、様々な感情に自分自身、呆れているようで、男の名を呼ぶ青年の中では苛立ちが少し強いらしい。

「ちょっと迷った…」

いつもの事なのか、大して慌てる事もなく、言ってのけるアユムに、呆れ顔で「はぁ〜」と吐き出した青年・シンジのため息が、減ってきた紅茶を襲っていた。




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