世界に零れた月の雫

□拾陸章
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動きの止まったカオル、その隙をアレフが見逃すはずは無かった。…が、しかし

「蒼勁・風翔刃」
アレフの追撃の最中に呟かれたカオルのそれが、周囲に風の刃を伴う嵐によって、遮(さえぎ)られた。人間程度ならば、数瞬の内に肉塊に変えるそれもアレフには、傷を着ける事さえ叶わない。
勿論、カオルもそれは分かっていたに違いなく、要はただの威嚇(いかく)だ。しかし、その威嚇が、充分な成果を上げたのだ。

一瞬、刹那、アレフが戸惑いという感情に包まれたのは、1秒にも満たないごく僅かな時間であるが、この男との闘いでは、それが命取りになる。
目の前には、カオルの確かな殺気、思考より速く、本能が逃げろと叫ぶのだから、アレフはこれに従うまま、身をよじらせ、カオルと無理矢理に距離を取ったのだが、アレフには、何かが足りない。
右肩、右肩から下、つまり右腕の全てが文字通り、根こそぎ消し飛んでいたのだ。


――何が起きたのか?

答えは単純だった。カオルは振り向き様、アレフに出来た僅かな隙へと、右腕<破刃>をねじ込んだのだ。それも強引に。この答えを複雑にしているのは、圧倒的なまでの“差”である。
アレフの認識より速く動くと同時に、アレフには及びも着かない程の威力を両立させる。
瞬発力、膂力(りょりょく)、近接戦闘、その攻撃能力において並ぶ者無しと言われる男との、埋めようのない差がそこにはあった。

「折角、入れるチャンスだったのに、な。
あの程度の術(わざ)で、気を取られるとは、らしくないんじゃないか?」

既に失われたはずの右腕を元通りにしているのだが、アレフの表情は険しい。カオルの手の内を引きずりだすより早く、それもカオルの想定よりも早く、自身の落ち度を晒してしまったのだから、それも仕方ないのかもしれないが。

「“復元”か。…だが、右腕は戻っても、肝心の“折れたツノ”までは戻せてないようだな?、こいつが」


「…レイバード様…いえ、エンキ様、それでも私には、あなたに向かう事しか、出来ないのだ…!」

淡い赤の空間で、アレフは吠えた。カオルへ一直線に突進しているが、カオルは、動きを見せようとはしない。先程のように、アレフの動き、その上を行けるからか?
否、分かっているから動かないのだ。そして、アレフの姿はカオルに衝突しようかという間際で消えた。

そして、現れたのは4体のアレフ、カオルを取り囲むも、これをあっさりと蹴散らすカオル、だがこれは、アレフの実体ではない。
空間支配、実体を持った幻影、これこそがアレフの持ちうる最大の術(わざ)なのだ。


「相手の空間を削り、疲弊した所へ、自身最大の一撃を以て仕止める、か。
いい手だ。…相手が俺じゃなければ、な」


ニッ、と笑いそう嘯(うそぶ)いたカオルは、確かにその気になったらしい。カオルを包み始めた蒼い気流は、淡い赤の空間を揺らすように激しく盛ると、確かに空気が揺れた。

カオルの左手、人差し指、中指に気流が収束し、その剣指を右から左へ、大きく一文字を描かせると、剣指の先からから生まれた1本の長い長い雷が部屋を支配した。
“蒼勁・雷公鞭”、カオルが範囲攻撃に良く使う術(わざ)であり、鞭と刃の性質を持つ雷だ。



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