月なきみそらの剣士

□ずっと前から
1ページ/2ページ



初めて俺が名無しと出会ったのは
ハイドリッヒ家の屋敷内でも
ファザーン城の謁見の間でもなかった。


それよりも
ずっと前の話だ。














「兄さま、牢という場所には
どのような人間が入っているの?」


きっかけは


今思えば弟ディルクの
そんな疑問からだったかもしれない。


「牢というのは
悪い行いをした者が入る場所だ」


弟の質問に対して
まだ幼かった俺の知識では
こうとしか答えられなかった。


すると俺の隣りで
兄のエーベルはクスッと笑う。


「それだけではないさ」



その日は珍しく俺達ハイドリッヒ家の兄弟
3人がその場所にいた。
ここは城の控室。
母親も付き人の使用人達も別の部屋に居て
此処には居ない。


俺は元々、噛み付くタイプではなかったが
その時は、何かを含むエーベルの物言いが
ほんの少し、気に食わなかったのは事実だ。



「それは、どういうことですか。
エーベル兄さん」


「そのままの意味だ。
牢に入れられている人間が
すべて悪い人間だけではないということだよ」



エーベルが何の事を言っているのか
まったくわからず、俺はいつしか
ムキになっていたのかもしれない。


「なら、その証拠をみせてください」



「いいだろう。
ディルク、お前も行くか?」


「〜〜???」




こうして俺達は許可も無く部屋を飛び出し
何も理解していない弟の手を引き
ファザーン城の地下にある牢に向かったのだ。






牢には



誰も居なかった。




「ほんの先日、大規模な処刑があったそうだ。
だから今ここは綺麗なもんだろ」

前を歩くエーベルからかけられた
なんとも残酷な言葉に苛立ちを覚えつつも
その足は牢の奥へと向かわせる。


「ねぇ、兄さま。
こわいよ、帰ろうよ」



ディルクが兄の服の裾を引っ張っているが
彼は歩みを止めることは無さそうだ。


「何を言うんだ、ディルク。
此処を開けば良い物が見られるんだぞ」


その時の兄の眼は
怖ろしいほどギラギラしていて
ディルクは恐らく、それを見て黙った。



エーベルは一箇所だけ不自然な色の床を
ずらして見せた。



するとそこには
更に地下へと続く階段があったではないか。


「いくぞ」


灯りも無い暗闇の中
俺達三人は言葉も発さず先に進む。


「・・・兄さま」


「しっ、静かにしろ。
誰かに見つかったらどうする。
それより、もうすぐだ」



エーベルだけは
何かにとり憑かれたかのようで
俺とディルクはここにきて
彼についてきた事を後悔し始めていた。



「着いたぞ」



そう言ってエーベルは
いつの間に手に入れたのか鍵束から
その牢の鍵を見つけ出し鍵穴に差し込んだ。


「兄さん、開けて平気なのですか?
中に罪人が居るのでは・・・」


がちゃん。と
鍵が開く音が響く。


「アルフレート、私は言ったはずだ。
罪人ばかりではないと」


そして


開かれた扉の先には


光があった。







「これ、は・・・」


「どうだ?
お前にはこれが罪人に見えるか」





俺の眼に映ったものは
今でも信じられないものだった。


蝋燭の光が煌々と照らす牢の中には
中央にベッドだけが置かれている。
そのベッドの上に横たわるのは
間違いなく人間で
そして、女だった。



「わぁ・・・キレイ」



「待てっ!ディルク!」


ベッドに近づこうと
思わず牢の中へ足を踏み込みそうになった
ディルクを俺と兄は咄嗟に止めた。


「魔方陣だ。
これを壊すと何が起こるかわからない」



蝋燭に照らされている床には
部屋一杯に魔方陣が描かれていた。
彼女はその真ん中に居る。


「私がコレを見つけたのはつい先日だ。
まさか城の地下にこんなものが隠してあるなんてな」


隠してある。
その表現が一番正しいだろう。


「兄さん、そろそろ戻ったほうが良い。
誰かが来るかもしれない」


兄は黙って頷くと
扉をそっと閉じた。







あの部屋の存在を知ってからというもの。
明らかに俺達はおかしくなった。


エーベルはザルディーネの
学園に戻ったから良いものの。
残された俺達は落ち着くことは無かった。



「兄さま、あのね
僕はあの魔方陣を解く勉強をします」


ディルクはあの一件から
呪いや魔術の勉強をするようになった。
どうやらあの魔方陣を破る気でいるようだ。



そして俺には


夜な夜な牢へ向かう習慣ができた。
牢の中には一歩も踏み入れられないというのに
彼女の近くに行きたい。
そう思って止まなくなってしまったからだ。





エーベルが置いていった鍵束を持ち
今夜も俺は彼女の様子を見に行く。
屋敷を抜け出し見回りが手薄な裏から城に入る。


牢には変らず誰も居ない。


床を動かし階段を少し降りたところで
その床を元に戻す。


もしも誰かが牢に足を踏み込んでも
俺が此処に居る事がわからないように。


暗闇の中、降りる階段の足音は
何とも軽快に響くようになったものだ。


鍵穴に鍵を差し込む瞬間は
不思議な感覚で胸が押し潰されそうになる。
今日も決して近付けないのだ。
それをわかっていても俺は鍵を回す。






.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ