文(伝奇物多し)
□戦陣屹勝山・別展
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《生存者、主従》
忽然と現れた奔流の通り過ぎた地を、煙を乗せた風がいぶし返す。
鈍る朝焼け雲は空高くを覆い、天地の境を分けその下で行われる些末事を変わらず突き放していた。
野の獣も鳥も逃げ去った林の脇、泥にまみれた塊に取り縋る人の影がある。
見ればその塊もまた人であり、踞る形で横たわるがピクリとも動きはしない。
片腕はだらりと伸ばされたままぬかるみに沈み、反対にもう片腕は抱え込んだものを爪が食い込むほどに握り締めている。
その強張る肩や背を擦り、熱を失いつつある首元を診た手が一旦離れ、しばし迷うように結んでは開かれていた指先が袖の中へと消えた。
すいと取り出されたのは鋭い切っ先の千本針である。
指先で首裏の数点を立て続けに押さえ、一呼吸置いて針を突き立てる。
針から離れた手が恐る恐る投げ出された腕を取り、怯える目が色を失ったままの顔を窺った。
「伍郎太、伍郎太」
名を呼ぶやや掠れた声に応える者はない。
だが祈るように手を取る者の瞳は己の指先をひたと見詰める。
この戦に放り込まれ、幾つもの生と死の感触が染み始めた指先を。
何に拠るものか分からぬ診取りが、生きて返る、と触れる肌の下から波を読む。
直に己の主が来れば、一時も待たずにこの国から立ち去らなければならない。
ならばそれまでの限られた猶予の中で手を尽くすのみだ。
そう気の切り替わった手が今までの怖じ気を振り切り、淀み無い所作で手当てを施してゆく。
この国で知り合い共に生きて帰ると約束した、友と呼べる存在を失いたくない。
ただその一心の願いを込め、幼い内から心身に叩き込んできた知識と技を両の手に注ぐ。
「成程、それなりに使えるようになったようだな」
前触れもなく背後から掛けられた声に、跳ね上げた顔の額から鼻先へと伝った汗が地面に落ちる。
それと同時に肩に引きつれるような痛みが走り、堪えるために身体を強張らせた。
弛く息を吐き一度離してしまった大きな手を握り締め、咄嗟には出てこなかった言葉の代わりに別れを告げる。
そして着衣の下を肩から袖口へと這い出るモノに従うように立ち上がった。
「事前の調べには無かった連中が紛れ込んでいたようだ……使う気のない保険を使わされるとはな」
既に手を伸ばせば届く位置まで近付いてきていた主へと、自分の身体に縫い付けてあった黒い糸が返って行く。
その間頭の先より上に位置する赤緑の目は地面に注がれていたが、その表情には何の変化も見られなかった。
翻された黒い外套にうながされるまま歩き出し、もう痛みもしない肩を片手で押さえる。
その時漸く後にした方角から多くの人がやって来る遠い気配に気付いた。
「あとはこの国の主に面通しするだけだ、これ以上何かしてやる義理もない」
淡々と告げられる声にただ頷き、自分の役目は終わった、と冷えてゆく心に言い聞かせこの地を後にする。