対局圏(迷人戦)

□砂里町暁稲荷余話 その三
3ページ/8ページ


「先代がそんな事を」

 今はもう神主さんの記憶中にしかいない、白瀧のような長髭を湛えた老人の姿が脳裏に甦ります。
 本の虫でもあり、弟子と語らうよりも遥かに紙面と向き合うことの方が多かった師匠でありました。

「まぁアレだの、ここは九尾の社のすぐ近くと言うこともあって、代々の神主は何かと苦労続きだからの」

 さもありなん、といった顔で頷いた老孤はクルリと向きを変え神主さんを振り返ります。

「さて、お若いの。これからが本題での。心して聞いとくれ」

 二つの列に並んだ、提灯明かりの間を進む老孤の後に従い、追い抜かさないようゆっくりと歩みを運ぶ神主さんの背中に嫌な予感が走りました。

「坊やが力を使ってしまったということは、結果的にこの土地の鎮守の補佐をお前さんが任せたと言うことになる」

「俺は何一つそう言った話は聞かされていなかったが……第一アイツに何かを任せる方が心配なんだが」

 突然振って涌いた事態の深刻さにギュウと眉間を狭めた神主さんに、刻々と頷いた老孤の言葉は更に続きます。

「それもそうだろうて。ワシらもまだまだ遊び回りたい盛りの坊やを、こんなに早く送り出すつもりはなかったんでの……元々はもう一匹の方の仔狐を寄越すつもりだったのだがの」

 もう一匹の、と聞いた神主さんは以前仔狐が話していたカブたんと言うのがそうなのだろうか、と思い当たります。
 その時差し掛かった鳥居の前に相向かう、二つの石造りの台座が目に入り、思わずその足を止めてしまいました。

「おや、カブ。いつの間に来てたのかい」

 同じく足を止めた老孤が見上げる石台の上、まるで狛犬のような格好で鎮座する丸眼鏡の仔狐の姿がそこにあります。
 蛇模様の雨合羽からはポタポタと雨粒がしたたり、その手足は泥跳ねで黒くなってしまっていました。

「こっちに夜詣り提灯の列が見えてもしやと山を降りてきたんです。踏むべき手順が何だかすっ飛ばされた感じですが、これから継承の儀を執り行うんでしょう?」

 同じ年格好の仔狐より、遥かに大人びた話し方のカブと呼ばれた銀狐は、何故か神主さんとは目を合わせないようにしています。
 不思議とその姿に既視感を覚えつつも、ジワリと胸の奥に広がる苦い感覚に神主さんも目を逸らしました。

「うんうん、本来ならお前さんが新しい守り手となる筈だったのが、今の今まで引き延ばされとったからの。もうこれ以上先送りにすると封が解けてしまいそうだしの」

 目を合わせようとしない両者を気にせず続けた老孤は、ほれ行くぞ、とばかりに神主さんの脛をポンと叩きます。
 その行き先に待ち構える難題を思うと、このまま逃げてしまおうかとすら考え始めた悩める者の前、三又尻尾が鳥居をくぐって手招きをしていました。
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ