裏かどうかは微妙なところ

□憎い川
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 あれと共に過ごした年月はあまりに短く、細切れの記憶が色だけは鮮やかに浮かび上がり、所々にその時聞いた声が小さく貼り付いているばかりだ。
 それ以前の事は何一つとして胸に残ってはいない。



 だが実際には、もう何処にも俺の名を呼ぶ者は居ないのだ。



 只一度きり交わした口付けに何の意味も与えられず、記憶の中で離れた唇が繰り返し俺の名を象っても、最早この耳の鼓膜を震わせる事も無い。
 俺一人が先に逝き、こうして裁きを受けることも無く川面を漂っている。


 全てが無為だった。


 この何者も存在しない穏やかな世界には、絶えず他人の命を奪い喰らってきた己の居場所さえありはしない。
 それとも此処こそが、俺の在るべき処、即ち地獄という訳なのか。
 只々川に流され、常に他人を求めた心は満たされず、取り戻すことなど叶わぬ者への想いに身を焼かれ続けろと。
 だが、この程度の苦しみでは、生きていた時と何の変わりもないではないか。あれを置き去りにした罪の報いというにはあまりにも軽すぎる。
 生きることさえ望まぬ者に、一つだけ、と縋られ誓わされた約束すら反故にしたのだ。


 何に怒ればこの身は砕けようか。
 何に苦しめばこの心は裂けようか。

 只ひたすら流れ、手出しもせずに全てを運ぶ憎い川よ。抗う事を許さぬならば、流れ流れて俺を現し世にさ迷わせろ。

 泣く子の声がお前には聞こえぬか。
 其処まで俺を連れて行け。












 あれの望みに不破の誓いを立てたのだ。



 今生の別れには、二度目をくれと小声で言った、たった一つの望みへと。



2007/12/03
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