裏かどうかは微妙なところ
□都市廃城
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【沈香焚】
子の門をくぐり、懐から小布を取り出す仕草に紛れて鑑札を指に挟んだ。
広く張り出した軒下に入り、畳んだ番傘の雫を払って壁に立て掛けるうち、音もなく影が背後に立つ。
おそらく、いつもの“世話人”と称される表情の無い男だろう。毎度繰り返される形式ばった手続きには、ほとほとうんざりさせられる。
「面倒だ、さっさとこれを受け取れ」
そして消えろ、と目も合いもしないうちに手の中の物を押しつけ、相手を睨め降ろす。
慣例に習うがこの道の筋だが、いい加減付き合うのも飽きていた。
しかし世話人は顔色一つと変えず鑑札を受け取り、一瞥した後添えた布に包んで、
「確かにお預かり致した」とだけ言いその姿を消した。
これで厄介事の一つは片を付けたが、さて、これから取り掛かる懸案は己の今後にも関わることだ。
自分としては全く気の進まないことだが、組織のリーダー直々の達しとあれば致し方ない。
人ひとり通れるほどに開けられた鉄扉の隙から中へと入り、幾度目かの道筋を辿る。
背後では扉が軋みを立てながら閉じゆき、外界を目に見えぬ境界から締め出していった。
長く続く回廊沿いに幾つもの戸口が連なる。かつて王妃や女官達の暮らした部屋は、それぞれの組織毎に細かく区切られ、その占める面積がそのまま此処での勢力図を表していた。
無論己の属する組織も名前を変えて区割りを持ってはいるが、今回は使うことはないだろう。
この足の向かう先は、客殿と呼ばれる場所である。
外部から訪れる“客人”は皆ここに一度留め置かれ、然るべき手続きの後に交渉の場へと通されるが、その全てが言葉通りの客“人”である由もない。
現に、始めに呼び付けられてこの場を訪れた時には、用向きのみが書かれた巻き物が長椅子の上に載せられて自分を待っていた。
何ともまた回りくどいやり口に腹が立ったが、隣国まで出向いて苦情を言う程暇でもない。
仕方なく指示に従い、期日には姿を現すはずの相手を待ったが、その約束の日付は五日前に過ぎた。
何かの手違いがあったのか、それとも、この俺の風評を何処かで聞き付け、恐れをなして逃げ出したか。
何れにしても、今日を限りに待つのもこれきり。明日にはもう、この街を発つつもりだ。
それに連れがいようがいまいが、俺にとってはどうでもよい事だった。
等間隔に結界札の貼られた回廊を進み、上層へと昇る階段口へと差し掛かる。
人気の感じられない暗がりに微かに白く棚引く煙を見留め、踏み段から天井を振り仰げば、寺で嗅ぐような独特の香気が流れてきた。
恐らくは、この上に居る“客人”の仕業だろう。
この俺に待ち惚けを食らわせておいて悠長なことだ。
遅れたくせにのうのうと顔を出した度胸に免じて、言い訳の一つも聞いてやろうか。
万が一納得のゆく説明でも出来たならば、当面の間は組んでやっていけるだろう。
常にはない寛容な思考は、過ぎ行く時を沁ませた、この古い城跡の気配に呑まれたせいか。
細やかな興味と期待がそのまだ見ぬ者へと、距離を縮める脚を踏み出させた。
2007/11/04