10/12の日記

11:22
小ネタメモD
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鎖の解かれた若君は打ち据えられた利き手をもう片手で押さえ、痛みを堪えて救援の礼を述べる。それに頷いた一団の頭は手早く今後の手筈を伝え、目の前で血の滴り落つ手に治療を施そうとした。

しかし若君は施術を拒み、懐刀を取り落とさぬよう握り締めた拳を巻いて固めよ、と声にする。猶予無い事態にその指示通りの処置が採られると、一団は松林を抜け更に進んで小国の境まで無事逃げ果せたのだった。

その頃には一団の殿に当たっていた、始めに若君を先導してきた男の姿は消えていた。乱戦の後、打ち傷だらけの身に泥塗れの袖無し無垢を羽織り直し、徒歩隊に従う人足の如く頭陀袋を背に負う。

じっと伏せられた面に表情は無く、時折隊の後尾の者から短く投げ付けられる叱責の声に耐えているようであった。若君を無傷で送り届けるのが最良、多少使えるからと図に乗りおって、これでは頭の顔に泥を塗るようなものよ、と侮蔑と嫉妬の混じる詰りが暫く続いていた。

その後若君は他国にある母方の豪族の口添えもあって助命され、とある高僧の元に身を寄せ出家をする。それから没するまでは亡き一族と郎党の供養に努めたという。これもまた、一つの血筋の絶えるまでの話である。


後世には若君が髪を落とすよりも些か前、二度と武家として立たぬ誓いとして利き手の指を落としたと伝わるが、これには居城から逃れる際既に手傷を負っていた、と言う異説も根強く残っている。

また、松の林の中を郎党の亡霊がさ迷い、何かを探して回っていた、という目撃談も当時の文献に数多く見受けられる。或いは林中に人の争う音や呼び笛の響くのが聞こえた者もあったと言う。

後に寺の僧の書き付けに、倉の奥で干からびた指の入った小箱を見たという記述が見付けられたが、先代の時の火事で既に倉の遺物は大半が焼失しており、事実を確かめる事叶わない。

【指箱】了

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