幻夢の道標

□第二幕 樹の下で眠る少女
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「だから、それはどういう事だ!」


朝っぱらから、一軒家に男性の怒鳴り声が響き渡っている。
まだ鶏の無く時間だというのに、彼――ゲインは全く気にしていなかった。
いや、気にしているような精神状態出なかったの方が正しいのだろう。
夜通しの作業で気が立っていたせいもあるかもしれない。

その原因を知るバナスは、大音量に顔をしかめながら涼しい顔での言い包めを試みる。


「何度問われても答えは変わらん。しばらくユリカにはルイス坊ちゃんの家に世話になる事になった。理由は説明したろう?」
「だからって、年頃の娘が男と一つ屋根の下だなんて……どんなトラブルが起こる事か」
「……ルイス坊ちゃんはそんな間違いなぞ絶対に起こさんよ。それに村に来た使者とやらも見た限りじゃ真面目そうだったし、第一ユリカは自分の身を守る術を持っとるだろうに」


バナスがそう育てたのだから当然だ。
ユリカは普通の少女ではない。この世界の出身でない事もあるが、それ以上の特異性を持っている。

何しろ、それを発揮するのをバナス達も村人もみな目撃した。
あれはバナスから見ても、異形と言って差し障りのないものだ。
あの日以来、ユリカを見る村人の目は変わってしまった。ユリカを嫌い、そして拒絶するようになったのも、その時からだ。
あまりに自分達と違うから。恐ろしいから。

いつか彼女の特異性が知れ渡れば、もしかすると様々な勢力から手が伸びてくるかもしれない。
その時に進んで手を差し伸べ、守ろうとするのはバナスとゲイン、シェリカぐらいのものだと思われた。
どう考えても守りきれない。

だからこそ、バナスはユリカに武術を叩きこんだのだ。
撃退はできないにしろ、せめてそこから逃れる術を見出せるように。



――それが、約束なのだから。



「バナス?」
「お? おお、すまん……」


慌てて顔を上げると、ゲインがいぶかしげな瞳でこちらを見ていた。
どうやら柄にもなく物思いにふけってしまっていたようだ。

「確かに、ユリカは強い。昨日だってあの大牛の召喚獣に一対一で勝ったんだ。もう少し年頃の娘らしくしなってくれても良いとは思うが……」
「む……仕方ないだろう。俺もお前も女の育て方なんぞ知らんのだから。シェリカ嬢ちゃんがいただけマシと思わねば」
「分かっている。だがそうではない。俺が言いたいのは、今のユリカに必要以上の刺激を与えるわけにはいかないということだ。辛うじて安定している状態なのに、わざとそれを崩すような事をするなど……!」
ゲインが熱くなっているのを、バナスは珍しいものを見る目で見つめていた。
いや、実際珍しいのだ。
ゲインは冷たい男のように見えるが、本来身内にはかなり甘い人間だ。生来の不器用さの所為でそれを表現するのが苦手なだけで。
それなのにここまで明確な反応を見せるとは。



――よほど、ユリカが大事なのだろうな。



「お前の気持ちは分かる。だが、俺たちがずっと守ってやる事はできないのだ。俺も年をとったし、お前もいずれこの土地から離れねばならん。それに、仮にずっと守ってやれたとしても、それはきっとユリカのためにはならんだろう」
「それは、そうだが……」
「ゲイン」


なおも引き下がろうとするゲインに、バナスは真剣な顔を向ける。
いつもは滅多に見せない表情に、ゲインは目を見開いていた。だが、唇を引き結び、次の言葉を待っている。


「ユリカは人間だ。お前さんのように『止まった』ままではいられん。変化を受け入れる事ができず、進んで行けないまま壊れてしまうなら、遅かれ早かれ結果は同じ事だと思うがな」
「……」
「なに、単に子供が余所の家に泊まりに行っただけの事だ。お前の懸念することが起きるとは限らんぞ。それに、ひょっとすると初めての友達ができるかもしれん。変化は決して悪いものばかりじゃない。お前とて、忘れてしまった訳ではないだろうに」
ゲインの肩を叩きながら諭そうとしたが、しかし彼はバナスの手を振り払い、自室へと去っていった。
きっと、部屋の中で悶々と考えるに違いない。
この数年、共に過ごして入れば想像などたやすいものだ。


「――もう、16歳だ。『名もなき世界』じゃどうかは知らんが、リィンバウムの人間ならもう一人立ちできる年頃だ」


脳裏に浮かんだのは、初めて出会った頃のちっぽけな存在。
無垢な瞳の中に底知れぬ虚ろを秘めた少女の瞳。


「可愛い子供に、あの時のまま立ち止まっていさせるなぞ、俺にはできんよ」


バナスはルイスの屋敷のある方向に顔を向け、祈るように瞳を閉じた。




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