現し世の夢
□第七話 疼く傷痕
2ページ/10ページ
義父の書斎に入るのは久しぶりだ。
旅をしていたために長く留守にしていたこともあるが、ここは父の聖域のようなもので、許可なしには中々入れないのだ。
「長旅で疲れているのに、本当にすまない。だが、緊急の要件なんだ」
「分かってます……」
答える声は自然と低くなっていた。
「では、早速だが要件を言おう。先程も言ったが、『ベルベット・フラム』は憶えているな?」
「はい……」
忘れられる訳が無い。
その名は、レグにとっては最悪の悪夢と同義であり、最も彼の感情を荒く波立たせる名だった。
しかし、それは既にに終わった筈の事で、今になって出てくる理由が理解できない。
「彼女の当時の根城の一つで、何やら不穏な動きがあるらしい。派閥から、先程連絡を受けたんだ」
「派閥から?」
それは可笑しい。
犯罪関係の操作は聖王国の騎士団の仕事だ。
余程の事でない限り、派閥が関与するべき事ではない。
召喚術が絡んだ事件なら話は別だが。
と考えたところで、背筋に冷たいものが走った。
「まさか!」
「そう、あの時と類似する点が見つかったんだ」
「そんな……あの女は居ない筈なのに!」
「分からない。彼女の後を継いだ者の仕業かもしれないが……それとも」
義父はそこで言い淀む。
何が言いたいかは理解した。
人間全てが善人ではない。彼女と同じ事を考える者など、何人いても不思議ではないのだ。
そして、その欲望の被害に会う者も、また同様に……。
「派閥は、どうする予定なんですか?」
「……本当に、あの時と同じ事が起こっているという確たる証拠が取れれば、国と協力して討伐隊を派遣することになるだろう」
「……」
レグは俯く。
何故、義父は自分にこの事を話したのか、答えの予想はついている。
できればその先を聞きたくなどないが、きっとレグの意思とは無関係だ。
組織とはそういうものである事を、若いながらもレグは既に理解していた。
「君にも、参考人として協力してもらう事になると思う。当時の関係者で、行方が分かっているのは君だけだから」
レグはしばらくの間、一言も言葉を発する事が出来なかった。
分かっていても、気持ちがついていく訳ではない。
頭の中で否定の嵐が激しく吹き荒れるが、それでも受け入れる準備をしていた分、鎮静化させるのに時間はかからなかった。
しかし、次の一言を発するのには、もっと時間がかかった。
言おうとすればするほど、言葉は引っ込んっでいく。
だが、それでもレグは言ったのだ。
「わかりました」
たった一言だけ。
けれど、決定的な一言を。
書斎を出る直前。
机に座って黙り続けていた父の呟きが耳に入った。
――すまない。
扉を閉める直前に見えた義父の顔は、今まででレグが見た中で一番老けて見えた。
.