花霞堂

□空蝉
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「おはようございまーす」

 いつものように花霞堂の扉を叩く。すると今日は花霞ではなく、篠女が扉を開けた。どうやら客が来ているようだ。扉を叩いたらまずかっただろうか、砂々は一瞬考えたが、篠女は怒っていないようだったし大丈夫だろう、と勝手に判断し店内に入った。

 レジには大学生くらいの男が立っている。話している内容は聞こえないが、時々不満に似た言葉が出ている事から、予想するにクレーマーか何かだろう。砂々は少し驚きながら篠女に耳打ちする。

「珍しいね。ここにきて怒ってる人なんて」
「そうだねー……。何かあったのかな?」
「え、知らないの?」
「うん」

 本当に何だろうね、と微笑しながら言った篠女は、どこか面白そうに客を見詰めている。その横顔が何だか嘲っているようで、砂々は寒気を覚えた。知らない、と篠女は言ったが、本当は予想くらいついているのだろう。いつも穏やかに笑っているが、内心何を考えているのか分からない。
 珠宵も花霞も李鈴も篠女も、皆考えが読めない。もしかして自分が分かりやすいだけなのか。本人的には衝撃の事実を自覚した砂々は、落ち込みながら倉庫に向かった。

 とぼとぼと倉庫に向かう砂々を横目で見ていた篠女は、クスリと笑いながら呟く。

「簡単に心開けるわけ、ないだろ」

 心底可笑しそうにクスクス笑う篠女の表情は、世界全てを嘲るような、普段の彼からは想像出来ない顔をしていた。砂々がそれに気付くのはまだまだ先のようだ。

 砂々が倉庫に入り扉を閉めたのを確認すると、篠女は花霞と客の方にゆっくり近づいていった。客は苛立ったように頭をかきむしりながら花霞に食ってかかっている。対して花霞は無表情のまま淡々と言い返していた。そういう態度が客を逆上させるという事を、彼女は知らないのだろうか。篠女はそんな事を思いながら口を開いた。

「まぁまぁお客様。少し落ち着いて下さい」

 にこりと笑いながら、そばにあった椅子を進める。客は一瞬篠女にも怒鳴りかけたが、穏やかに微笑する篠女を見て考え直したようだった。しかし椅子には座らない。その様子を見た花霞は、やっと静かになってくれたか、とこっそり溜め息を吐いた。客はそんな花霞の態度を呆れていると判断したようで、今度は唸るように呟いた。

「……何でも願いを叶えてくれる店だって聞いたから来たんだ。なのに……お前の言葉、意味分かんねーよ! 相談内容に全然関係ねェじゃねーか!」
「関係ない事はないです」
「だからそれが意味分かんねェんだよ!」

 客は再度頭に血がのぼったらしく、また花霞を怒鳴りつけた。そして吐き捨てるように帰る、と告げ、荒々しく店を出て行った。乱暴に閉められた扉の反動で、上部に付いていた鈴が床に落ちる。

「あーあ、行っちゃいましたよ?」

 篠女が対して残念そうにはきこえない口調で花霞に言う。花霞は呆れたような顔で扉を見つめた。

「全く……知らぬが仏、なんて誰が言ったのかしら」

 篠女は苦笑しながら落ちた鈴を拾う。
 この世の中に自分が知らない事も存在するという事実は、知っていると口先で言いながらも実際は自覚していない人間がほとんどだ。今の客もその中の一人なのだろう。
 篠女は落ちた鈴をゆっくり揺らし、チリン、と響いた軽い音を聴いて満足そうに微笑した。

「きっと言ったのは人間ですよ」
「当たり前じゃない」

 花霞が怪訝そうに篠女を見ながら答えると、彼はいつもの微笑を浮かべながら、そうですね、と呟いた。


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