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□正午の、約束
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「よし、頑張ろう」
休日の、人通りの多い公園でヴァイオリンケースを開ける。
通りすがる人々が好奇の目で見てくるけれど、それらをいちいち気にしていたら舞台度胸がつかない。
この練習は、自分の技術力向上のためでなく……舞台度胸をつけるためなのだから、と自分に言い聞かせる。
自分で言うのもなんだけれど、私はそこまで演奏技術や楽曲に対する理解や解釈力が低いわけではない。
ただひとつ…私は極度のあがり症なのだ。
それは、音楽科に通っている私には致命的で……
常々克服しようとは思っていたけれど、気がつけば実技試験を兼ねた演奏会があと数十日というところまで迫っていた。
少しでもこのあがり症をどうにかするために、人の多い所で弾いて舞台度胸をつけたらどうか、というのが友達の見解で…やってみる価値はあると思い立ち、今私はここにいる。
覚悟を決めてヴァイオリンを構えるけど……突き刺さるたくさんの視線。
立ち止り、まっすぐと視線を私に向ける人がたくさんいて……
思わず、その場から逃げ去ってしまった。
ヴァイオリンと弓を右手に、ケースを左手に持ち人目を避けるように駆けて来たのは公園の隣にある広場。
「……はぁ…」
ダメだ、やっぱり私にはハードルが高すぎた。
でも少しでも舞台度胸をつけなきゃ…なんて思いながらベンチに腰掛けると、どこからか楽器の音が聞こえた。
この音色は……チェロ?
その音色を辿るように歩いて行くと、そこには真剣にチェロを弾いている男の子の姿。
「わ…すごい……」
深みのある音に、正確でまわりにも動じない演奏。
私の理想そのものを兼ね備えている人が、そこにはいて。
私が彼を見据えていると、ふと演奏を止めた彼と視線がぶつかる。
一瞬ドキリとすると、あろうことか彼は私を見据えて……
「一緒に、弾きませんか?」
予想外の言葉を、口にした。
「……え?」
「ちょうどヴァイオリンが欲しいと思っていたところだったんです」
まっすぐと真剣な瞳でそう問う彼に、私は思わずはいと返事を返していた。
恐る恐る彼の方へ寄ると、この曲知っている?と彼に楽譜を渡される。
それはチェロ譜だったけれど、その曲は私も何度も弾いたことのある曲で。
コクリと小さく頷くと彼は淡く微笑んで、最初から、と呟くように言われた。
彼のその言葉に、慌ててヴァイオリンを構える。
「いち、にぃ、さん」
彼の掛け声に合わせ、メロディーを奏でる。
そのメロディーは、初めて合わせたとは思わせぬ程の心地良さを感じた。
1曲奏で終えると、パチパチと後方から数人の拍手が聞こえた。
その拍手を聞いた途端、私の頬は赤く染まり…ペタリとその場にへたり込んでしまった。
「…どうか、したんですか?」
少し戸惑った表情の彼に覗き込まれ、今度は別の意味で心臓がドクリと鳴る。
「今更、緊張しちゃいまして……」
あはは、と掠れたような笑い方をすると、彼はより一層眉を潜めた。
「私、その…あがり症で……」
克服したいから人前で弾こうと思ったんだけど……と、さっきの一連のことをポツリポツリと話す。
私どうして初対面の人にこんなこと話しているんだろう、って思ったけどそれこそ今更だ。
彼は頷きながら話を聞いてくれたけど、話し終わると少し考えてから…こう、口にした。
「それじゃあ、これを弾きましょう」
そう、渡されたのもまた私の好きな曲で。
さっきと同じ間延びした声でいち…とカウントを始める彼につられ、慌ててヴァイオリンを構える。
さん、の掛け声の後さっきと同じように音を合わせると、自分でも驚くほどに素敵な音が出せた。
もちろん、チェロと合わさることで深みが出たのだともいえるけど、それとはまた違う感覚。
その感覚に戸惑いもしたけれど、この心地よさが私は好きで。
弾き終えたあとの感覚とまわりからの拍手に、その手に持っていたヴァイオリンを思い切り抱きしめた。
「来週、時間ありますか?」
「……え?」
「良かったら、また一緒に弾きませんか?」
あがり症を直すお手伝いもしますよ、と天使のような笑顔を浮かべて言う彼に、お願いしますと私も満面の笑みを浮かべてそう返した。
正午の、約束
(来週のこの時間、またここで)
(はい!)
(今度は、あなたの好きな曲を一緒に弾きましょう)
(えっと…じゃあ、考えておきます)
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