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□午後19時の、記憶
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「暁彦っ!」
彼の名前を呼びながら駆けているのは、私。
私の声に反応したのか、暁彦は迷惑そうな表情をしてこっちを振り向く。
「…なに?」
「一緒に帰ろ!」
「……家が逆方向なのに、送れと言っているのか?」
「違う違う。今日、暁彦の家に行こうと思って」
美夜ちゃんのお見舞いにと、付け足すと、一瞬だけ暁彦の表情が変わったのが分かった。
それを隠すかのように歩き出した暁彦に置いて行かれないように、私も小走りで彼の隣に追いつく。
「美夜ちゃん、具合はどう?」
「だいぶ、良くはなったみたいだが……」
暁彦のその表情から、美夜ちゃん具合はあまり良くないのだと悟ることができる。
少し前から美夜ちゃんの体調が良くなくて、私は凄く心配だけど、きっとそれ以上に暁彦は心配なんだろうなぁとぼんやりと思う。
「早く美夜ちゃんのジュ・トゥ・ヴが聞きたいなぁ…」
そう呟くように言うと、暁彦も呟くようにそうだな、と返す。
美夜ちゃんほど美しく、それでいて情熱的にジュ・トゥ・ヴを奏でられる人を、他には知らない。
「無理、しないといいな」
それは、誰に向けた言葉だったか……
ポンと頭に手を置かれ、置いて行くぞと言った暁彦に意識を集中させた瞬間忘れてしまったけれど、この時の私たちは確かに同じことを思っていた。
その願いが、叶わずに消えてしまったのは…土砂降りの雨の日だったね。
散々泣いた私は、それでも……音楽を続けると決めた。
変わってしまったのは、あなた。
そんなことを思っていると、場面が反転する。
生温かい風が吹いていたあの夕暮れのあの日、お墓の前でヴァイオリンを奏でていた私を見つけてくれたのもあなただったね。
「ジュ・トゥ・ヴ…」
「…暁彦?」
どうしてここに?なんて野暮なことは聞かなかったけど、息を切らしている暁彦の傍に寄ろうともしなかったっけ。
「なんで、こんなこと?」
「美夜ちゃんの愛したこの曲を、私もやっとこのくらい弾けるようになったんだよ、って……聞いて、欲しくて」
だけど、何度弾いても美夜ちゃんが弾いたように美しく、それでいて情熱的になんて弾けなくて。
美夜ちゃんが弾いてくれた音が、頭の中には残っているのに。
「美夜、ちゃん……」
そこで一筋、涙を流す。
隣にいるの暁彦も、何も言わない。
あぁ、この日は……美夜ちゃんが亡くなって、丁度1年経った日だ。
「音楽に、どうしてそこまでの魅力があるのか……わからない」
そう言った暁彦の気持ち、わからなくはないよ。
音楽を愛し、音楽に全てを捧げた美夜ちゃんは、10代という若さで亡くなってしまって。それはどうにも変わらない事実で……それでも。
「私は、これからも愛し続けるよ、音楽を」
涙を拭い、ヴァイオリンを構える。
もう一度奏でたのは、さっきと同じジュ・トゥ・ヴ。
優しい風に乗り、音が広がる。
美夜ちゃんの、優しい声が聞こえた気がした。
「美夜、ちゃん……」
「えらく懐かしい名前を口にするんだな」
淡々とした、あの頃とは違う声音。
はっと目を覚ますと、外はもう真っ暗で。
「……あれ?ここは、どこ?」
「……大丈夫か?」
目の前には、呆れ顔の暁彦の姿。
まわりを見渡すと、そこは……私の部屋で。
そうか、暁彦を待っている間に寝てしまったのか。
ソファに横になっている私の足にはブランケットがかかっている。
「これ、暁彦が?」
「他に誰がいる」
「そうね…ありがとう」
そう言いながらよく耳を澄ますと、近くにあったオーディオプレイヤーからは、懐かしい夢の中に出てきたジュ・トゥ・ヴが流れていた。
「珍しいわね、暁彦がジュ・トゥ・ヴを聞いているなんて」
「私はこの曲が嫌いなわけではないからな。それより、なにか良くない夢でも見たのか?」
少し前までうなされていた、と付け足す暁彦。
「懐かしい夢を、見ていたの」
「姉さんの夢、か?」
「うん。でも正確には、私と暁彦の夢よ」
私がそう言うと、暁彦は疑問符を浮かべる。
本当に、懐かしくて…忘れ難い、大切な記憶の夢を見たの、と淡く笑いながらそう呟いた。
午後19時の、記憶
(きっと暁彦がジュ・トゥ・ヴを聞いていたから見たのよ、夢を)
(好きだったからな。私も、君も、そして……姉さんも)
(…そうね。今では大切な思い出、だものね。…久しぶりに弾きたくなっちゃったな)
(本当に唐突だな、君は)
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