「ご、ごめんなさいっ!」
「こっちこそごめ……」
慌てて顔をあげた瞬間、まわりの空気が凍りつくのが分かった。
あぁ、今日は本当にツイていない。
撮影スケジュールの変更から始まって、台本変更や手配ミスその他諸々……
極めつけはテレビ局の廊下で和樹と…元彼と、出会ってしまうなんて。
出会ってしまったというよりは、廊下の曲がり角でぶつかってしまったんだけど。
なんでこんなベタな再会をしてしまったんだろう…なんて、考えても仕方ないんだけど。
「久しぶり、だね」
「うん、久しぶり」
和樹が話しかけてくれたけど、何を話していいかわからず沈黙が広がる。
「あの…っ」
「和樹くんっ!」
和樹がなにかを口にしようとした瞬間、和樹のマネージャーであろう人に名前を呼ばれ、和樹はごめんと口にしてこの場を去って行った。
「……和樹…」
私は和樹の去って行った方向をただ呆然と眺めることしかできなかった。
―――ごめん、別れよう。
和樹にそう言われた日のことを鮮明に思い出せる。
あの頃の私はモデルのお仕事もドラマのお仕事も軌道に乗っていて、恋人よりも仕事を優先していた。
和樹とはお互いが有名になる前からの付き合いだったからこそ、「和樹は分かってくれる」と高を括っていたから、和樹の気持ちを考えたこともなくて。
雨が降っていたあの日、ドラマの撮影が長引いて約束の時間よりも大幅に遅れてきた私に和樹が告げたのは別れの言葉で。
そのあと、やっと私が和樹にしていたことに気がついた。
別れて初めて和樹が大切だったなんて気がついたけど……もう既に時遅くて。
まぁ、今更そんなこと言えるはずがないんだけど。
「ダメだなー私」
はぁ、とため息をつく。
楽屋でひとりになって思うのは、やっぱり……和樹のこと。
歌を歌っている和樹、演技をしている和樹、ファンの子に向けて笑顔を作っている和樹。
いろんな和樹を何かを通さないと見れなくなって、わかったことがある。
「私……」
そんなことを考えていた時、コンコンと楽屋の扉をノックする音が聞こえた。
マネージャーなら2回ノックした後にすぐに入って来るけど、ドアノブが回る様子はなく、再度ノックの音が聞こえた。
仕事前に直接私に会いに来る人は珍しいな…なんて思いながら、ドアを開けた。
ドアの向こうにいたのは、さっきまで脳裏に思い描いていた人、で。
「和、樹…?」
「中に入れてもらってもいい?」
「え、あ…うん。どうぞ」
突然の和樹の訪問に、頭が真っ白になる。
和樹を招き入れ、ドアを閉めた瞬間…視界が真っ暗になった。
ただでさえ頭が真っ白な状態だから、今何が起こっているのかを理解するのに少し時間がかかった。
和樹に抱きしめられているんだ。そう理解した次の瞬間、目の前には和樹の整った顔。
「……っ」
数秒経って和樹にキスされてるんだって気づいた次の瞬間、もう和樹の唇は離れていて、また和樹の腕の中に閉じ込められていた。
「ごめん、ごめん……っ」
ねぇ、和樹。この「ごめん」はなんの「ごめん」?
そう聞きたいのに、私の口は動いてくれない。
だけど、そんな私をお構いなしに和樹の言葉は続く。
「急に来てごめん。いきなり抱きしめてごめん。突然キスしてごめん。……別れようなんて言ってごめん」
和樹が、呟くようにそう言う。
「好きなんだ。仕事に身が入らないくらい、世界がモノクロに見えてしまうくらい、きみが好きで好きで仕方ないんだ」
「か、ずき……?」
「俺からフッておいて都合がいいなんてわかってる。でも…直接あったら気持ちがあふれて止まらなくなっちゃったんだ」
抱きしめられているから和樹の表情は分からないけど、きっと今泣きそうな顔してる。
それがわかっちゃうくらい……
「だから、おれの傍にいて。きみがいないとおれ、ダメなんだ……」
和樹のこんな言葉、こんな声、初めて聞いた。
いつも泣き言言うのは私、だったから。
「私も、和樹のことが忘れられないくらい、好き」
「……え?」
「ずっと後悔してた。和樹と別れてから自分の過ちに気がついて、だけど私には和樹に縋る権利はないんだと思って、それで……」
俯いてそう言う私の視界が一瞬明るくなった。
ふと顔をあげた瞬間、再度重なる唇。
ほんの一瞬の、啄ばむようなキスをしたあと、和樹の両手が私の頬に当てられる。
「あの頃のおれ、嫉妬してたんだ。自分の仕事が中々うまくいかないのに、ドラマの仕事もモデルの仕事も見事にこなしていくきみに、嫉妬してたんだ。それであんなこと……」
「私も、何も気づいてあげられなくてごめんなさい」
和樹がそんなこと思ってたなんて知らなくて、仕事の話ばっかりしてた私。
どれだけ和樹の心に負担をかけていた……?
「私も、和樹がいないとダメなの。だから…もう一度、和樹の傍にいさせて」
そう呟いた瞬間、目の前の和樹の表情が優しく変わる。
私が一番隣で見て来た、一番大好きな表情。
「もう一度、ここから始めよう」
「うん」
私が呟いた言葉が和樹に聞こえるか聞こえないかのタイミングで、もう一度、どちらからともなく唇が重なった。
過ちに気付いてからでは遅すぎた
-だから、もう一度ここから始めよう-
(今日はいつもより気合入ってるね。何かいいことでもあったのかい?)
(はい!とってもいいことがあったんです)
(そうか、それはよかったね。さ、今日も頑張ろうね)
(はい!よろしくお願いします!)
お題提供:fisika様