□第二環
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* * *

 昨夜までの貧相な光景とは裏腹に、朝の目覚めは彼の機嫌を損なう事無く優雅に始まった。
 程よく開けられた窓から刺し込む陽の光が室内の壁紙に溶けて滲み、純白のカーテンから覗く蒼穹はどこまでも高く、心地よい。
とはいえ、表の景色にも心配と好奇の面差しで部屋の前を行き来する人々にも興味が無いが。
 街の要とも云える飛行船の空港を一望出来る、とびきり豪華な客室と洗練されたメイド達の仕事っぷりは青年をいたく満足させていた。

 ヴィヴィアン達が慣れない岩山を下り、ようやく辿り着いた街は首都『ペトロア』。
西の王国『マノン』の領土で鉄の都、空の港と称される。
 入国するのは初めてだったが、ボロボロの姿で辿り着いた三人は公僕の取り成しで手厚い保護を受ける事が出来た。

 …彼らは人食いの存在を知っていたのだろうか。
訳も聞かずただ深く頭を下げ、街で最も値の張る宿と船を提供する対処にふとそんな疑念が沸く。
(俺には関係ないけど)
 魔物は死んだ。
もう済んだ事なのだ。


 宮廷の様な高脚のベッドに、毛足の長い真紅のカーペット。
肌触りの良い寝具に包まれ、すっかり痛みの引いたヴィヴィアンは体を右に左に転がしながら
枕に額を擦る。
何者かの視線に重い顔を上げれば、6つの瞳がこちらを覗きこんでいた。

「お早うございます、ヴィヴィアン様。朝食の準備が整いましたわ」
「お早うございます、ヴィヴィアン様。新しい御召しものが届きましたわ」
「お早うございます、ヴィヴィアン様。湯浴みの準備が出来ていますわ」
 シーツの端に触れるギリギリの距離で横に並び、留まっていたメイド達は魔術師の薄い碧眼に黄色い歓声とため息を漏らす。

 麗しき来客、勇ましき英雄へ。

 職権を用いた会話の口実と共に、自分を売り込む会心の笑顔を注いだ。
本当ならすぐにでも魔物を退治した話を聞きたい処だが、どれだけミーハーであろうとも
彼女達は一流の客室係。
誰一人抜け駆けはせず、貞淑に身を低く保ち注文を待っている。

 煩いが、これこそが正しい待遇。
自分の一挙一動に見惚れる三人を一瞥し、ヴィヴィアンは満更でもない風に自慢の髪を梳く。
さらさらと指の間を流れ落ちる銀糸を日差しに翳し、組んだ手の甲に顎を乗せた。

「…まずは入浴。
それから衣装を選んで朝食、生の植物は食べないから全て軽く熱を通す事。
量は食器に対し三割、多いと食欲が失せる。主食は要らない、それから…」
 温度の欠けた声で用件を告げ、ベッドからすらりと伸びた素足を下ろす。
タオル生地の部屋履きに乗り、大きく両腕を掲げると注ぐ朝日に色とりどりの宝石が反射した。

『…。畏まりました』

 暫く三人は指輪と持ち主の美しいコラボレーションに輝きに目を奪われていたが神経質とも思える細かい注文を記憶に叩き込み頭を下げる。
 正面を向いたまま、給仕ドレスの裾を持ち上げ部屋を後にした。
 全く人目を気にしない横柄な態度は、傲慢な男そのもの。
 彼女達の王子は想像通り麗しいが、少しばかり性格に難が在る様だ。
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