四宮噺

□水底姫新
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2、水底姫新


 残暑を引きずる立秋。
突然の豪雨で夏の花火は上がらなかった。

 あれから丸1日と半日。一体この雨はいつまで続くのか。

竜見川から溢れる水と空からの天水は一向に止む気配を見せない。
南宮朱雀は軒から滴る涙の雫にため息を吐いた。
「元凶が判っていながら、何も出来ぬとはな。
全くもって気に入らぬ」

 紅蓮の髪をなびかせ、南宮は暢気に縁側で水面を見る青年に歩み寄る。
床を踏み鳴らす豪傑な足音に苦笑し、北宮玄武はゆっくりと顔を向けた。
「何もする事が無いなら、せめて楽しんだらどうだい?
不安は人に感染るものだ」
「この状況で楽天的にはなれぬ」

 街の住人は皆、四方の社に避難しているが、残してきた家財は瞬く間に水下に沈んでゆく。
結界で覆った境目にくっきりと注がれた水かさが見て取れた。

 朱雀の護符とそれを水圧から護る玄武の剣。
流水をも斬る一刀は地面に真っ直ぐ突き立てられ、街を護符紋ごと潰そうと襲いかかる水の直撃を退けていた。
「一刻も早く御十姫とやらを説得して貰わねばな…御主も丸腰のままでは心許なかろう」

「そうでもないよ、予備が出来たし」

「…予備…?」首を傾げる南宮の前にもう一振りの刀を掲げる。
「戦利品」
「!」
「赭光の剣だよ、便利なことに偽者というよりは完全な複製だ。能力も同じだし、実に便利だ」
 おそらくは。
 業光と共に青龍に従う羅刹、蜘蛛の化月である赭光から力強くで奪い取ったであろう剣を自慢気に見せると北宮は苦い顔の南宮に弁解を付け足した。
「あの子は糸を操る方が強さを発揮出来るよ」

 白々しく微笑む北宮に更に顔を酸っぱく歪ませ南宮は深いため息を吐く。
「御主は誠の楽天家じゃ…」
 そう言葉を発し、再び視線を外界に向けた。

 東宮と西宮は海面を統べる御十姫とやらに無事会えたのだろうか…。

 自身の恋路とはいえ、他者を平気で巻き添えにする様な。
幼稚な精神の女王を上手く収める事が出来るだろうか…。

「心配には及ばないよ、南宮。
言わせてもらえば、この件は青龍以外に纏められる者は居ないだろう」

「…そう…じゃな…」
 泣き、癇癪を起こした女をなだめられるのは東宮青龍をおいて他には居ない。


 何も案ずる事は無い。妾の思い過ごしじゃ…。
そう判ってはいるものの…この拭いきれない不安は何だろうか。 気楽に構える北宮を残し、紅の神子は落ち着かない足取りで縁側を後にした。




 頬に触れる大きな掌に瞼を数回瞬く。
細く長い指は自分のよく知る穏やかな君の物ではない。
「……業光…?」

 西宮は鈍い痛みに眉を寄せ、差し出された業光化月の手に引かれて身を起こす。

 ここは…と辺りに視線を向けるとそこは冷たく、湿気の含んだ岩牢。
人が一人入れるほどの小さい入り口の柵は硬く、西宮が力一杯広げてもとても曲がりそうに無い。
「無理をするな、私が鍵を取って来よう」

「…うん…ありがと。業光」
 それから二人は目の前に広がる水の世界に眼を向けた。
海水と淡水が渦を巻く混乱の水底だ。
海の生物も川の生物もこの水では生きられない。
(なんて酷い姫なの!)
 己の課された責任と権威を使って身勝手な迄な暴挙を行う竜見川で見た美姫の姿に唇を噛む。



 けれど。

 この災害を納められる唯一の希望、東宮青龍の姿は何処にも、居ない。
 南宮の悪い予感は最悪にも、ぴたりと的中していたのだった。
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