□第一環
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 目の前の街並みは相変わらず黄色い砂埃を含み、寂れた民家を晒してヴィヴィアンの前に広がる。
彼を弄った野良猫が不思議そうに振り返り、にゃあんと鳴いた。

「な…何故…!?」
 詠唱も図式も面倒だと簡略し、いつもなら指先の動き一つで扱える力が発動しない。
もう一度、と数回繰り返すがやはり何の作用も無い。
乾いた風が足元を吹き抜けるばかりだ。

「何、で、だ!」

 何故魔術が使えない!?

 次第に焦りが強まるヴィヴィアンはヒステリックに感情を昂らす。
自分に何が起きたのか理解出来ず、額に両手を押し当てては蹲り、立ち上がり。
ぐるぐると辺りを一周した。

 彼の美しい銀髪と紫水晶を映した様な湖畔の蒼い瞳。
けれど讃えられるのは容姿だけでなく、類い希な魔術師としての才能があったからこそ。
それがある夜突然、使えなくなるなんて天地がひっくり返るほどの衝撃だった。

「あり得ない…有り得ない!これは何かの間違いだ…」
 ぐらぐらと重い目眩と足取りを抱え、ヴィヴィアンは壁伝いに灯りの零れる通りに歩み出た。
見下ろす満月は悲劇の主人公を愉快そうに照らす。

 酷く顔色の悪い彼が纏う高級素材の衣装は、ブランド品のオーダーメイド。
当然ながら需要がないこの町での入手は不可能だ。
観光客の来る場所では無いだけに、良くも悪くも通行人の目を惹きつける。
町も住民もくすんだ色をしてヴィヴィアンを物珍しく眺めるだけ、誰一人声をかける者はいない。
(気安く話しかけられるのも腹がたつけどな!)
 他人に、それも下層階級の田舎住民に助けを求めるなど彼のプライドが許さない。

 どうしたものかと煉瓦の壁塀を背もたれ、脚を組む。
苛々と思案を巡らしているヴィヴィアンに、そろりと一歩離れた場所から控えめな声が掛けられた。
「あの…すみませんが…貴方様はもしかして…」
 小さく震える声音は、微かだがはっきりとこちらに向かって尋ねている。
「有名な天才魔術師、ヴィヴィアンヴァルツ様では御座いませんか?」

「…。」
 自分を知っている人間が居たとは!
内心深く安堵しつつも、平静を浮かべ冷たい視線を返す。
高慢に澄ました横顔を見るなり少女は「やっぱり!」と赤らむ頬を両手で覆い、歓喜した。
薄いブラウンの髪を肩につかない長さで切り、エプロンドレスの彼女は黄色い声で叫ぶと祈る様に手を組んで天を仰ぎ、詰め寄った。

「ヴィヴィアン様がこんな町にいらっしゃるなんて夢の様です!
……もしかして何かのお仕事ですか?」

「え…仕事?…あぁ!そうなんだ、実はね」
(…まぁ…いいか)

 少女の善意に救われた事も棚にあげ、ヴィヴィアンは都合良く誤解した彼女の肩に手を乗せた。
夢心地で蕩ける眼差しを注ぐ娘はニーナと名乗った。
 ニーナはこの街唯一の娯楽施設。

 酒場を営んでいる主人の一人娘で、各商店の支払いを済ませた帰りだと云う。
2人が通りを歩けば、顔見知りの常連客が、看板娘と連れ立って歩く見知らぬ美人に野次を入れる。
あまり着飾る事のない街の女性達に見慣れているせいか、美しければ性別はあまり気にならないらしい。
「この御方に下品な真似したら許さないからっ!」
 溜まりかねたニーナが腰に手を当てて叱りつければ、男達は冷やかしの口笛を吹く始末。
「〜!」
 怒り以外の理由から赤らむ顔を必死で仰ぎ、彼女は済まなそうに魔術師を見上げた。
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