□第二環
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* * *

 コットンの様な白を滲ませた淡い水色の空にどこからともなく花の香りが漂う。
ピンク色の花弁がふわりふわりと風に翻弄され、なだらかな丘陵に連なる草原へと消えた。

 商業、工業にも栄えている筈のこの街が、どこか暗い影を拭えずにいるのは外観故だろうか。
中心部を丸く仕切った壁の向こうには、今はもう何に使われていたのか解らない研究施設が廃墟と化し残されている。
過去に犯した罪の戒めに半壊した軍用基地がそのままの形で晒された街。
それらを慈しみ、全て受容するかの様にその丘はあった。

 『スレイヴ・クルス』の丘。

 頂きから見下ろす4つに別れた居住区が、まるで十字の烙印だと。
聖痕だと云う信仰深い人々が後を絶たない。
風に煽られる眩い金髪を抑え、紫陽花色の双眸を湛えた若い神父が礼拝堂へ向かう途中で
脚を留めた。

 眼差しを伏せ、太陽の許に掌を伸ばせば羽根の様な軽やかさで一枚の花弁が舞い降りる。
彼は愛おしげに穏やかな微笑みを注ぎ、やがてピンク色の華を再び空へと逃がした。

 元々この街の住民は信仰心が薄く、教会への関心も皆無であった。
先代亡き後、彼は丘の忘れさられた教会を孤児院と兼ね、埋め尽くす無数の墓守をも担い、やがて年月がスレイヴ・クルスを巡礼の聖地へと知らしめた。

 聖母マリアか聖女ジャンヌ。
類稀な美貌を持つ、この青年神父を人々はそう称賛する。
 彼はぼんやりと天に昇る花弁を見上げていたが、かの花が丘に咲く品種ではない事に気が付くと、はた、と聖職者らしからぬ俊敏さで踵を返した。

 来た道を戻り、墓標の間を器用にすり抜ける胸に呼吸の乱れはない。
 丘の傾斜を下れば、そこは息をむほど多くの人々が眠る墓地。

 それぞれが不規則な方向を向く墓石の中、片翼の天使像が注ぐ眼差しを受けながら、
ひと際控え目にひと際質素な墓には早過ぎた死を迎えた「彼」の妹が眠っている。

 神父がたどり着くと案の定、彼は両腕から零れるほどの大輪の花束を捧げ、祈りの最中であった。
地面に片膝を落とす青年に彼は聖職者である真摯な表情を砕く。
 友人に見せる屈託無い笑顔と名を呼ぶ、優しくも凛々しさのある声に顔を上げ、彼の姿を認めると深く頭を垂れた。

「これから窺おうと思っていたのですが…。
しばらく留守にするので、クロエを宜しくお願い致します」

 赤みのあるブラウンの髪をサイドから編み上げ、琥珀色の瞳を揺らす。
揺れる片側だけの青いイヤリングはクロエと揃いの品だ。

 旅支度の軽装であるにも関わらず右腕のガントレットだけは外さない。
 クロエの双子の兄。

 彼は三年間さる王国に仕える約束で騎士の称号を手に入れた。
騎士はどこの国へも入国が許される。
騎士の身元は称号を与えた国が全て保証するからだ。
青年が念願の「入国許可証」を手にし、王国を離れる理由は一つだけ。
 近い年齢のせいか、墓地に来る傍ら何かと会話する事が多かった神父は彼を友人として案じ、聖職者としても憂いていた。

「では…この三年間は貴方にとって何の癒しにもならなかったのですね」

―彼女は復讐を望んではいない。
 云いかけたありきたりな台詞を呑み込み、首を振った。

 彼女は復讐など決して望まない、けれどこれは「彼」の望みなのだ。
彼の心が囚われている。
それはかつて自分にも覚えがある感情だった。
だからこそ…。

 美しい表情が悲しく翳るのを認め、騎士は困った様に口許を薄く緩める。
 
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