□第三環
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 イエソドにさえ着けば、何かが解けると思っていた自分が甘かったのだろうか。
 難しそうな厚い本を広げ、テラスでくつろぐ人々が有意義な時間を費やしてはいるが彼らは声を掛けても振り向かない。
稀にちらりと視線を上げる者がいても、一瞥を投げるだけで直ぐに背を向ける。
 いかにも「知識」とは不釣り合いな、旅の騎士の自分とは会話をする暇も惜しい、そんな態度がありありと浮かぶ。
 国の外交で多くの街を見回った時期もあったが、ここまで独創的な街は初めてだった。

 「元」王宮騎士、アストライア=バルドーは今一度、眉間を寄せ大きく息を吐く。

「だから。この文様と同じものを探して…遥々東大国の「ラーレ」から旅を…」

 魔術に疎いアストには何を示す模様なのか判らなかったが、王国の術師達が一様に「はっ」と息を呑んでいたのを覚えている。
丸い掌ほどの円陣にびっしりと読み取れない文字が並び、正確な模写でも無いのに焦げ付く匂いが香の様に立ち昇る。
 邪悪な魔術であることだけは彼にも予測がついた。

 だからこそ、知りたいのだ。
其処に何が書かれているのかを。
(何故クロエが死ななければならなかったのか)
 朱色を含むブラウンの髪を払うと、鋼鉄のガントレットの無粋な音が思考を断つ。
彼は幾度となく描いた図式を手元にあった紙の裏に乗せ、取り合おうとしない受付嬢に翳して見せた。

「ですから。そう申されましても、具体的な属性名かイエソドの者からの紹介がなければ
「箱舟」にお通しする訳には参りませんので」

 しかし彼女は尚も一向に取り合わず、もはや此方に顔を合わせる事さえしない。
狭いカウンターを挟んでの近距離でさえ、まるで聞こえて居ないと彼女は壁に掛った時計をちらちらと見上げる。

「大体、貴方。ラーレの騎士ならラーレの魔術師に何とかして頂いたらいかがですか?
イエソドはもっと崇高な学術を…大変!」

「お…おい!」

 突然立ち上がり、慌ただしく身支度を始める受付嬢にアストは大きく呼び止めた。
こんな街の門前で一人にされたら、それこそ途方にくれるしかない。
 今すぐに情報が手に入るとは思っていなかったが、少なくとも書庫には辿りつきたかった。

「遅刻に煩い師の講義なので、失礼」
「講義!?」
(イエソドは受付も何かの学生なのか!)

 驚愕に一瞬出遅れたものの、壁に掛けられた長いローブを颯爽と羽織り、反対側の扉から通りに転がり出る後ろ姿を追う。
 地面に置いた小さな布製の鞄を肩に背負うと、手入れの行き届いた艶やかな剣を再び持ち上げる。

 ここで彼女を見失う訳にはー。
そう思い、一歩踏み出すアストの背を軽やかな笑い声が呼び止めた。


「あははは!お兄さん苦労してるね〜。これあげる」
「?」
 イエソドに入って以来誰からも声を掛けられる事がなかった故か。
初めて聞くまともな人の声に自身が笑われているのも忘れ、振り返り思わず姿を探せば、
すれ違ったばかりの女性がひらひらと手を上げた。
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