□第四環
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「私、彼と結婚するの」

 異性双生児である妹のクロエがそう云って示した男は自分より幾分年上の青年で、黒髪と濃灰の瞳が印象的な冷たい顔立ちをしていた。

 男は何者にも分け隔てなく親切で親身。
穏やかな口調と引用する言葉端からは深い知性が窺える。
服装こそ異端の装飾品を纏っていたが決して金銀の華美さはなく、街での評判も良い。
誰に訊ねても彼は善い男だと答が返った。

 だから、そう告げられた日も。
微笑む彼女が幸せならば心より祝福しようと。
日に日に増す男への不審感も妹を取られた兄のやきもちだと周囲に揶揄され、自身もそれを受け止め、押し殺した。

 思えばこの時に何かがおかしいと気付くべきだったのだ。

 街全体がまるで洗脳されたかの様に並べたてる男への賛辞に。
街中に増殖してゆく黒い薔薇の異様さに。
何よりも賢明な妹が、何の相談も無く熱愛の勢いだけで伴侶を決める事などありえないのだと。


 幸せな花嫁を送り出す筈の舞台は突如として、黒煙に包まれた。
どこか心の抜け落ちた街人達の祝福に沸く挙式の最中、礼拝堂で唸りを上げ花嫁を呑み込んだ焔に人々は互いを押し退け我先にと逃げ出す。

 恐怖に冷静さを失う群集をただ一人、逆走するアストは耳を覆いたくなる程の絶叫を喉から絞り出す火柱に手を伸ばした。

「来ないで…!」と、声帯は焼き切れていても告げる口の動きと制す腕を払う。
呪いや魔術に関しての知識は全く持っていなくとも、血の繋がりが示す勘だろうか。

「クロエ…!」

 地面から円柱に吹き上げる炎。
美しい髪も、笑顔も、ドレスも全てが焼き付くされていた。

 高温は呼吸をするだけで気管を焦がす。
肺に流れる火の粉に顔を歪め、アストは不自然に輝く彼女のペンダントに視線が留まった。
 薄い金色の丸いプレートの中にびっしりと文字と文様が刻まれている。
―これが元凶。

 何故そう思ったかは判らない。けれど確信に満ちた頑なな表情でアストは赤く煮え立つペンダントに手を伸ばした。

 メダルに刻まれた円形の魔方陣を引き千切ると、天をも焦がす火柱は夢幻の様に消え失せたが現実だという証に腕の中には息絶えたクロエと焼印だけが残った。

 ペンダントはもう崩れて解読が出来ないが掴んだ時に転写された火傷の痕だけが男への手掛かり。
 一時たりとも忘れた事は無い。
思い返すクロエの面影に重なる黒の残像。
漆黒と呼ぶには禍々しく淀んだそれは、まるで全ての彩色を食んだ様に濁りアストライアを蝕んだ。
 元凶でもある男への怨嗟と共に自責でもある。

 俺が止めていればクロエは死なずに済んだのだ。
生きたまま身を焼かれる事など無かったのだ。
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