□第五環
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 鮮やかな黄色の船体は白波を纏い、突き抜ける青空に良く映える。
 けれど楕円形の甲板には航海を楽しむ人の姿は皆無。
 アストライアとヴィヴィアンヴァルツは重く口を閉ざし、雇主の容態ついてはジャーロも問わない。
 景色の爽やかさとはおよそ不釣り合いの様相で三人はそれぞれ別の方角を向き、ぼんやり海原を眺めていた。

 異大陸ユプシロン側とシェステール側から受ける加護の許、来た時の様な事態も無く、グングニルはシャノアール邸の港に着く。
 停まるなり、一同が顔を覗かせると計っていた風に待ち構えるゲーデと目が合った。



「お帰りなさいませ」

 両手を礼義正しく組む彼女は港に留まるグングニルに向かって深々と頭を下げる。

「旦那様を運ぶベッドの用意は出来ております」
「…驚かないんだな」

 顔色を察する勘の鋭さと、落ちつき払った態度。
 「死神」と聞かされた今、それは不気味でしか無い。美しく穏やかに伏したメイドを見下ろしアストライアは思わず呟く。
 顔を上げ、微笑む彼女は怪訝な疑問に応えず船室で身じろぎしないラームジェルグを軽々と肩に担いだ。

 男一人を抱え、衰えない歩調で館に向かう彼女の後ろをヴィヴィアンが小走りで着いて行く。
 ふわりと霞める銀髪に視線を追うと、花の香りが鼻腔に残る。
 普段の魔法使いからは想像もつかない態度にアルトライアの心も重い。



 ―自分なんかと関わらなければ、こんな事には成らなかったのだ。

「なあ、死なないんだろう?「時」が来るまでは」
「知っていたのか」
 取り残され、荷物を降ろしていたが素っ気なく耳打つジャーロの声に視線を合わせる。
「ここで働く者は皆知ってる。人身御供のおかげで職がある灰色の連中ばかりだからな」

「ああ、死なない。
万が一、があったとしてもヴィヴィアンヴァルツが赦さない」
 はっきりと言い切るアストも答に安心したのか、隣で同じく荷を背負う男は何事かと主の帰還を窺う船員達に合図を返す。
何か言いたげに集まっていた屋敷の使用人達も、彼の仕草一つで散り散りに持ち場に帰って行く。

「人身御供、か」
 ジャーロも去り、本当に一人になったアストは自身も屋敷に向かって砂を踏む。

 戦争の道具、武器を売買する一族に仕掛けられた短命の呪い。怨念。
 これを「因果応報」と疎む者もいれば、「自己犠牲」だと思う者もいるのだろう。
 主観によって善悪は容易く逆転する。絶対的な物など人の心には存在しないのだ。


『愛と涙ではどちら高いと思われますか?』


 この街に来て早々訊ねられた詩人の台詞。ふと、そんな言葉を思い出した。
 愛なら無償。涙はー、少なくとも。
あのヴィヴィアンヴァルツに流させた涙は恐ろしく高価に違いない。



 俺は、その対価を払えるだろうか。



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