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□そして漸く鵺が鳴く
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幼い頃、祖父の形見分けで貰った万華鏡に触った時、ふと祖父の若い頃の映像が目の前を過ぎった。
それが何なのか分からなくて、見たままを祖母に言った。祖母は泣いてしまい、僕は父から叱られた。
結局、突然見えた映像の意味を知れたのは、万華鏡など押し入れにしまい込んだずっと後の事だった。
「たっだいまー」
長くゼミに顔を出さなかった同級生が、いきなり戻って来た。
「うわっ、生きてた!」
「生きてたって酷くね?五日くらい音信不通だっただけじゃん」
「この時代に五日も音信不通なら死んだと思うだろ。何処行ってたんだ?」
「おふくろの実家だよ」
その同級生はテーブルの上に大きな紙袋を置き、買いたての文庫本を読む僕に、ただいま、と再び言った。
お帰り、と小声で返す。
「山奥のド田舎でさ、ケータイ繋がんねーの」
「行く前にメールくらい寄越せよ」
「冬と綿貫先生には言ったぜ?つーかコレ、綿貫先生の指令だし」
「ハァ?冬、そーゆー事は言えよな」
「……別に、悠弥の事だから皆気にしないと思って」
「冬、酷い!!」
悠弥は大袈裟に嘆いて見せた。うるさーい、と紙袋を物色していた蛍那が文句を言う。
僕はまた文庫本に視線を落とした。
「で、何で山奥に行ってたわけ?」
「あぁ、何か俺のひいばあちゃんの時代に流行った手鞠唄みたいのがあってさ。綿貫先生がそれに興味持って、連休中に調べてこーいって命令されたんだわ」
「へー」
「ひいばあちゃんに話聞くの大変だったんだぜ?耳は遠いしボケてるしで」
「へー」
「……ちゃんと聞いてマスカ?」
「へー」
「冬ゥゥゥ!!」
仲の良い学生ばかりが集まったゼミだけに、他と比べれば格段に温い集団で、そしてスキンシップが多い。
抱き着く悠弥にノーリアクションでいれば、だから彼女出来ないんだよと鴇継が厳しい事を言う。確か前の彼女はクリスマスに、と蛍那が言っただけで悠弥は本気で泣きそうになり、僕は千歳によって避難させられる。
全く以っていつも通り。
最近の若者らしい悠弥は軽いノリで、紅一点の蛍那は大人びた視点でそれをあしらい、本当に中身が大人な鴇継は子供だと呆れ、穏やかな千歳は最終的にそんな皆を宥める役。
僕はと言えば、とりあえず傍観してみる事勿れ主義。我ながらベストポジションだと思う。
「で、その手鞠唄って?」
「良くぞ聞いた蛍那!かなり不気味な歌なんだよ」
「歌えるのか?」
「いや、リズム分かんないから無理。歌詞は覚えたぜ。嫌われ者の鬼子の娘、おっととおっかはいつも泣く」
「菜の花畑で三つあやして、娘は笑って鬼子泣いて、鬼子はやがて消えてった、消えてった……」
「え、冬?」
「勝手にレポート読んでるよ」
「そうだな、悠弥の纏まらない話よりレポートの方が分かりやすい」
「ちょ、お願いだから話聞いて!帰りの新幹線でどう語ろうかワクワクしてたから!」
皆が悠弥に哀れんだ視線を向けた。多分僕もそんな目をしていたのだろう、悠弥が冬まで酷い!と喚いた。
「良いよ、話しなさい」
「あざーっす!」
自分のレポートの成果を語るのに此処までアウェーな学生も珍しい。紙袋から大量のレポート用紙を取り出し、悠弥は目を輝かせて話し出した。
「この歌、俺のひいばあちゃんの時代に流行ったって言ったけど、作られたのはもうちょい前。推定して明治の初期」
「文明開化で近代的になってきたけど、山奥のド田舎じゃ、まだ古い文化のまま?」
「当たり。歌詞に、嫌われ者の鬼子の娘ってあるだろ?時代背景から真面目に考えたら、この歌は村八分にされた娘が山奥に消えてったものだ」
「その解釈も微妙だろ、歌詞の後半だと娘と鬼子は分けられてる」
「だから最後まで聞けって!この歌はもっと深いんだよ」
語り手のせいか、なかなか話が進まない。僕は手元のレポートを読み進めながら、悠弥の声に耳を傾けた。
鬼子とは、隠語だ。
村などの小さなコミュニティの場合、村八分にした者の事を蔑んで使うが、鬼という言葉をそのまま使うなら、自己中心的な権力者の事を指す場合もある。
この歌では後者の解釈が正しい。
「村の役場とかで調べたら、ビンゴ。明治初期にいた、地主の男が鬼子だった」
「具体的には?」
「まぁコイツは、若い頃はまともだったらしいけどね。一度村を出て金貯めて、帰って来た時には子供を連れていた」
「子供?」
「コイツの実子かは不明なんだけど、すげー美少女だったらしい。村人が男に聞いたら、村の外で作った恋人が産んだ子供だって」
「恋人は死んだのか」
「あぁ、流行り病だと。当時村人は男を信用してたし、母親を亡くしたその娘を哀れんでか皆良くしたそうだ」
悠弥が言葉を濁し始めたので、とりあえず手近にいた蛍那と千歳には持っていたレポートを見せた。鴇継は、もう察しがついたのだろう。
男はやがて年頃になった娘を抱いた。
それは近親婚がよくあった田舎の村でも異端な事で、人々は陰ながら男を嫌悪した。だが誰も娘を助けようとしなかった。
男はそうして鬼子になった。
「まぁその、歪んだ愛情のせいで娘はどんどん衰弱するんだけど」
「男の愛情はエスカレート、遂には妊娠させたってか?」
「代弁ありがとう、鴇継」
娘は身篭った子供ごと死のうとした。だけど漸く、此処に来て助けが現れる。村の善良な若者が彼女を連れて逃げたのだ。
「幼い頃は仲が良かった二人は、逃亡を経て相思相愛になったらしい。山奥に逃げ隠れた二人はやがて夫婦となり、産まれた子供を大事に育てた。父親があの男でも、子供に罪はないって」
「男は黙ってねーだろ」
「此処からは資料が曖昧でよく分からないんだけど……俺の推測だと、男は隠れていた娘と若者を見付けて殺すんだ。そして産まれた子供、この子も多分女の子で、男は娘の代わりにしようと考える」
「しかし無理だった」
「きっとな。子供は事故か何か、悲惨でない死に方をしたんだと思う」
「だから娘は笑って鬼子は泣いて……」
「これなら歌詞も筋が通るだろ?」
「教訓としての手鞠唄か……興味深いな。悠弥にしては良いレポートじゃないか?」
「イエーイ!」
いや、でも。
喉を出かかった言葉が急に萎む。悠弥の推理にケチのつけようがないからか、それともこのおどろおどろしい内容に畏縮したのか。
「あ、そだ」
また紙袋を漁り、今度は黄色い花を取り出した。
それは見事な、時期はとうに過ぎたはずの、菜の花。
「村の周りを徹底的に調べたら、あったんだよ、菜の花畑」
「歌詞にあったヤツか?」
「多分な」
嫌な予感がするのに、どうしてか、僕は菜の花を手に取って眺めた。
触って、しまった。
そこは一面が菜の花畑で、遠くの方には山の緑が見えた。でもまばゆいほどの黄色が視界を占めるのには変わらない。
小さな女の子が、菜の花に包まれていた。
その女の子に忍び寄る男がいた。
音は何も聞こえない。男が女の子に何か言っているのは分かったが、唇の動きだけで内容までは分からない。
でも、分かった。歌の本当の意味。
“菜の花畑で三つあやして”
これは菜の花畑で三人殺したという意味だ。此処に、菜の花にいるのは男と子供のみ。
ならばどちらが歌詞の主語として適切か?
男の方を向いた女の子の手には鉈があった。それは血まみれで、女の子はもう片方の手で、生首を抱いていた。
男は絶叫した。女の子は狂ったように笑い、祖父であり父である男の首を、撥ねた。
鬼子とは、最初から最後までこの女の子の事を指していたのだ。
女の子は笑いながら菜の花の奥へ奥へ消えて行った。この狂気の一部始終は、男と共に娘や若者の探索をしていた村人によって伝えられた。
教訓としての歌ーーーーーーーーあまりに残酷すぎて、教える親達によって内容が次第に変えられようとも。
鬼子は泣かず、成ってしまった。
「冬?」
蛍那に名前を呼ばれ、漸く意識を取り戻せた。汗が、酷い。
「……見たのか?」
鴇継が遠慮しながら尋ねて、僕は頷いた。
「気持ち悪い……」
「吐きそう?」
「うぅん、グロかったけど……後味悪いって意味」
「大丈夫か?」
「大丈夫」
本当は大丈夫じゃないけど、話せば皆も気分を害するだろう。ビジョンがないだけ僕よりマシだが、だからと言って話せるほど僕は酷い人間ではない。
六歳の時に目覚めたこの力、専門的に言うのなら“サイコメトリー”という能力は、決して僕の人生に華を飾るものではない。
さっきのを含め、民俗学を勉強していると変なのばかり見る。というか、見せられている。
僕の叔父である綿貫助教授によって。
叔父は僕の能力をあらゆる面で活用しようと、人脈の広さを悪用して様々な依頼を持って来る。それはくだらないものであったり、真面目にトラウマになりそうなものだったり、様々であるが僕としてはどれも面倒臭いものばかり。
だけどお願いと言われて断れるほど僕に確固とした拒否理由はなく、ありがとうと言われて悪い気がしないくらいに僕も人並みだ。
そんな僕の性格を熟知している叔父は、何度も得意の企み笑顔で依頼を持って来る。
そしてまた、バタンッと勢いよくドアが開き、企み笑顔がやって来た。
「冬月!今から出掛けるぞ!」
「え、ちょ、綿貫先生!?」
「おぉ、加藤、帰ってたか。お前らは加藤のレポートを吟味しとけ、あと俺の机を片付けといてくれ」
「……今度は何?」
「いわくつきの刀だってよー、車で一時間かかる。今からワクワクするだろ?」
「いいえ全く!!」
力いっぱい拒否しても、どうせこの人は聞かない。なら諦めて、僕はあんまりグロくなきゃ良いな、と誰かに祈った。
(幟堂冬月の受難)