弘法大師が岩窟を選んで観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したことから岩室観音と称される。
1590年、豊臣秀吉が関東に出陣した際に松山城の落城に伴い全ての建物が消失した。現在のお堂は江戸時代に再建されたものである。
岩室観音は『比企西国三十三所観音札所』の三番である。ここには88体の石仏が収まっているが、これは四国88カ所の霊地に建てられた本尊を模したものである。
このスポット自体はどちらかというとパワースポットのような気がします。
この岩室観音自体にどんな霊が現れるのか、どういうスポットなのかは今ひとつ情報は得られませんでしたが、近くに松山城址や吉見百穴などの濃いスポットがあるためその影響を受けてのものか…。松山城の領土内ということで、落ち武者の霊が現れるのか…。
この奥には落城した松山城があるようです。
胎内巡りがあるようですが、単に険しい山道を歩くだけのような…(--;)
確かに夜はそれなりに雰囲気が出そうな場所でもありました。
2009.03.28