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□重ねた指先、魔法が生まれる
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人間は嫌いだった。何が優しい生き物だよ、優しい奴はこんなにも透き通った綺麗な海にゴミを捨てるのか?どうせ俺たちのことだって興味本位に捕まえて自分たちの有利になるように使おうとしているに決まってる。そんな奴等の為に何かをしてやるのも嫌だし、姿を見られたらと考えただけで寒気が立つ。俺さまは人間になんて囚われないで死ぬまでここで自由に生きていく。ぱちゃん、と音を立てて岩場に座る。本当はこんな風に無闇に海上へ姿を見せることは避けるようにと他の奴等から言われているけれどそんなの素直に聞いてやるつもりはない。俺さまは自由に生きていく、何にも囚われない。人間に姿を見られなきゃいいだけの話だ。軽く伸びをして一息ついたとき、後ろの方、陸近くでばしゃんという大きな音がした。多分何かが海へと落ちたかしたのだろう。岩場に姿を隠してゆっくりとその正体を確かめようと岩場の隙間から目を細めれば、ちらりと手の先のようなものが海に沈んでいくのが見えた。まさかと思い下へと潜っていけば案の定そこには人間がゆっくりと沈んでいこうとしていた。意識は無いらしく動く様子は無い。俺さまはさっき言った通り人間が大嫌いだからそのまま放っておいても別に罪悪感も何も湧いてこない。でもきっと他の海の生き物たちは人間なんてものが海中に沈んでいたら邪魔でしょうがないだろう。死体なら尚のことだ。内心で、俺さまに手間掛けさせるなんて魚の餌にしてやりたい、と悪態をつきながらどんどん沈んでいく体を掴みそのまま元いた海上へと上がっていく。人間でも女ならそこまで苦労はしないのにあろうことか海へ落ちてきたそいつは20歳近いだろう男だったものだから上へ引きあげるだけでも一苦労だ。

砂場の辺りに他に人間がいないことを確認して生きているのか死んでいるのかも分からない男を横たえる。何処かで擦りでもしたのか頬に擦り傷がついていた。何となくその傷を指でなぞる。俺さまと違う、まだ温かさを失っていないその体にまだ目の前の男が生きていることを知り安堵の息を漏らす。ここまでして死なれたんじゃこっちの目覚めが悪いからな。生きいるのならこれ以上世話を焼いてやる義理もないとそいつに背を向けようとして何となく男の口の上に自分の手をやってみれば案の定息をしていないことに気が付いた。体が温かいのは落ちてからまだそこまで時間が立っていないからなのかもしれない。どんどん冷たくなって、息もしなくて、そして。一安心出来たかと思えば、つくづく人間は手が掛かる生き物だ。何の拍子に死ぬか分からない脆くて弱い、その癖傲慢な、陸の支配者。一層このまま口を手で塞いでやろうか。その方が苦しみも何も無いまま楽になれるのだから幸せだろう?

「………お前は、誰かに必要とされてる人間か?」

返事をしないと分かっていながらぽつりと男へその言葉を呟いてそっと顔を近付けて唇を重ねた。同族とでもした事が無いというのに仮にも初めてが大嫌いだと言い続けていた人間と、しかも自分からだなんて俺さまってばどうにかしてしまったのかもしれない。まあ別にこれは人間で言うところのキスとか言うそんな甘いもんじゃなくて、言わば人工呼吸ってやつだからここまで関わってしまった手前の義務みたいな感じでしているだけだけど。じゃないと何で好き好んで人間なんかと。ふう、と息を吹き込んでやればこほこほ!と苦しそうに咳をして息を吹き返した。そして何度か瞬きをして不思議そうに俺さまをじっと見てくるそいつ。頭にはハテナマークが見える。嗚呼何だ、知らない奴がこんな近くに居て逃げようともしないなんてこいつって結構天然の部類の人間なのか、それともただ無防備で馬鹿なだけだったりして。どちらにしても静かにしてくれているのなら別にそれでいい。誰だお前俺何でこんなところでとギャーギャー騒がれるよりもずっとマシだし。よし、ちゃんと呼吸もしているし目も開いてる、これと言った怪我だってしていない。これでもう本当に俺さまの義務は終わっただろう、こんな面倒臭くて何の得にもならないこともう二度としてやるものか。少なくても人間にだけは絶対にしてやらない。

これ以上ここにいても人間臭くなるだけだと男に背を向けようとしたとき、ぱし、と腕を掴まれて動きを止められてしまった。どこまで俺さまを不機嫌にさせるつもりなのだろう、掴まれた部分がどんどん熱を帯びて落ち着かない。「離せよ、人間」と睨みを利かせて言っても一向に俺さまの手を解こうとはしない。へえ、人間の癖に良い度胸してんじゃねえの。ぱしん!と鈍い音がして熱を持った手が俺さまから離れて男の体が二、三歩ふらりと後ろによろけた。どうよ俺さまの尾ひれの攻撃は?中々痛いだろう?嗚呼それにしても半分忘れかけていたがあれほど人間に姿を見られるのは嫌だと思っていたのにばっちりと姿を見られてしまった。俺さまとしたことがとんだミスだぜ、こいつの意識が戻る前にさっさと海に潜るべきだった。一睨みして今度こそ海へ戻ろうとすれば、「待ってくれ!」と勢い良く後ろから抱き締められてしまい、さっきのように尾で叩くことすら出来ない。畜生、何だって言うんだよ。助けてやったのだからこれ以上俺さまに何かを求めるなんて、人間って奴はどこまで強欲な生き物なのだろう。「分かったから離せよ」出来るだけ嫌嫌だということを表に出してそう言えば「良かった」と嬉しそうな声で安堵して俺さまの体を離した。

「お礼、まだ言ってないだろ?助けてくれてありがとな、本当に助かったよ」

崖から落ちるなんて自分でもびっくりだぜほんと、そう言って照れ笑いを浮かべたそいつに俺さまは何と返事をすればいいか分からなかった。こんな風に飾りなく気さくに話しかけられたことなんて同族相手ですら無かったからどう答えれば良いのか分からないのだ。ましてや人間と会話なんてしたことが無いから余計に言葉が詰まる。どうすればいい?何て言葉を返せばこいつは納得して俺さまのことを海へ帰してくれる?別にこいつの話を聞いてやる義理なんてない。人間にお礼を言われたから何だって言うんだ。そんなの何の価値もないこと。ならさっさと目の前に広がる美しい青に飛び込んで醜い人間のことなんて綺麗に忘れてしまえば良い。それをしようとしない時点で俺さまはどうかしている。何で、どうして。大切な住処を汚して好き勝手に過ごす人間、大嫌いだ、もちろん今だって。こいつだって今こそ笑っちゃいるが本心で何を考えているかなんて分からない。どうやったら俺さまを生きたまま自分の住む街やら村やらに連れて行って見世物にしようか考えている可能性だって十分にあるんだ。どちらかと言えばそっちの方がこんなにも親しげにしてくる理由として納得出来るし。

「それだけか」

「…え?う、うん。あ、えっと、さっきから気になってたんだけど、その、足、さ」

足?嗚呼そうか、俺さま達の存在は知っている癖に尾という言葉が咄嗟に出てこないのか。まあ確かに普段人間が尾なんて見る機会魚を見たり食べたりする以外そうないだろうししょうがないのかもしれない。俺さまの同族の中には人間の足に憧れている奴が何人もいる。足があれば好きな所へ好きなように行くことが出来る、海だけで生活なんてしなくていいんだと夢を見るのだ。ぶっちゃけてしまえば人間になりたいと言っているようなものだろう。でもそれは海を散々汚してきたものの仲間になりたいと言っているようなものだから思っていても口に出すのは御法度とされているけれど。それに今更人間になったところで何が出来る?海の生き方しか知らない俺たちがどうやったら陸の上で生きていけるんだよ。人間が海の中で生きていけないように、俺たちにだってそんなこと出来やしないのに。……こいつは、俺たちをどう思っているのだろう?やっぱり自分とは違うものは気持ち悪い?何となく、こいつにはそう思って欲しくないと思った。人間なんて皆同じだと思っていたのは俺自身の筈なのにこいつを見ているとこの考えがどんどん歪んでいく。もしかしたらこいつは他の人間とは違うのでないかと、根拠のない希望を持ってしまうのだ。

「…すごい綺麗だと思うけどさ、海の中でそんなの着てて泳げるのか?」

「……着て、て?」

「俺そんなズボン売ってるの見たこと無いよ、あ、もしかして特注品とか?」

何を、言っているのだろう。着る?この尾は別に着ているわけではないのだけれど…こいつは俺さまのことを別の種族だからと馬鹿にしているのだろうか?それにしても目が真剣だ、嗚呼でも本気でそう思っているのだとしたらこいつは想像以上の天然に違いない。俺さま達の姿を見たことがある人間なんて数えるほどしかいないだろうけれどこの姿を見ればどんな奴でも自分とは違う種族なのだと分かるだろう。それを、着ている、だって?ふつふつと心の中から抑えきれない感情が込み上げて来て我慢出来ずに声をあげて笑ってしまった。信じられない!俺さま達に向かってそんなすっとぼけた質問をしてきたのはきっと後にも先にもお前くらいだよ名前も知らぬ天然くん。腹を抱えて笑ってやればさすがに自分は何も可笑しなことはしていないのにと恥ずかしくなったらしく「何だよ!」と顔を真っ赤にさせながら突っ掛かってきた。人間の中にこんなにも間抜けで真っ直ぐな奴が居るだなんて知らなかった。こいつの瞳を見ていれば今が演技じゃないことくらい直ぐに分かる。こいつはこれが本当なのだ。

「もう一度会えたらその理由を教えてやるよ」

にやりとそいつに笑って俺さまはぱちゃんと水音を響かせて海の中へと入っていく。後ろからそいつが何かを叫んでいるのが聞こえてそっと耳を傾ければきらきらと眩し過ぎる笑顔で「明日また会いに来るから!」と何とも軽い約束を交わされてしまった。人間と、会う約束?ちょっと前、数分前の俺さまになら考えられないことだろう。でも何故かそのことが嬉しくて堪らない、どうして?分からない、でも、また明日もあいつに会えるのだと考えたら胸がドキドキしてしょうがないんだ。海の中にいると言うのに体中が火傷したみたいに熱くて堪らない。


重ねた指先、魔法が生まれる




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