捧げ物

□朧
1ページ/1ページ

月夜に酒は格別と、男は言った。
秋も深まる季節。
庭先から奏でられる鈴虫の音色が、夜に彩りを与える。
今だ冷めやらない火照りに、夜風が心地よくすり抜ける。
此方に来いとばかりに手まねくと、もう一人の男が口を開く。

「無茶言わないで下さいよ。平子さん」

動けない、と彼は言う。
乱れた着物と、掠れた声がすべてを物語る。
しとねに横たわり、平子に目を向ける。
月光に陰る彼の表情は伺いしれない。

「まぁ、喜助には無理させてもうたからなぁ」

苦笑しつつ、お銚子と盃を片手に彼のもとへ。
横に座ると彼はけだるい体を少しだけ動かす。
手で体重を支えて体勢を直し、座ろうとした。
しかし、そんな彼を平子は力強く己の方に引っ張ると、その唇を強引に奪う。
割り開かれ口内に生暖かい酒が注がれる。
重ねられた唇から酒が漏れ、顎を伝う。
飲み下した後、離れる唇に名残惜しげに銀糸が引く。

「ん……はぁ。少しは自重して下さい」

深い口付けに力が思うように入らなくなり、平子に寄りかかる。
吐くため息には先の名残か、どこか熱を含んでいた。

「ま、考えとこか」

一度冷めた欲が鎌首をもたげる前に瞳を反らす。
これ以上、理性が剥がれ落ちてしまえば後には獣しか残らない。
獣になるにはまだ早いと、理性が言う。
平子は景色を楽しむのが好きだった。
浦原の、その乱れる様を。

「まったく、昔と変わりませんね。平子さんのそういう所は」

「喜助もな。ま、お互い変わってないところもあるっちゅうこっちゃ」

「そうッスね」

行灯に灯された灯りがゆらゆらと二人の影を揺らした。
二度の口付けを交わして、平子は浦原をその腕に抱く。
天高くある月が、ぼんやりと地を霞ませる。
淡く白く、冴えた月光に曝されて、喜助の面がうっすらと明るみになる。
喜助は月を見上げて微かに身動ぎ、瞳を細めて笑んでいた。
安堵のようで、しかし、含みのある、妖しく艶かしい、そんな笑み。
そして、平子もまた、喜助が見えないことをいいことに、仄かに口角をあげ、苦笑する。
昔から変わらない、喜助の厄介な癖だ。
振り回しているようで、実は掌で転がされている。
少しの自嘲と、安息の時。
虚空の空に月はただあるだけで。
彼等の夜が明けるころ、暁に月は溶けこんでいった。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ