記憶のかけら
□媚びない気持ち
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TVを見ていたら
フランスの「ブロワ」と言う城下町に暮らす高校生が出ていました。
ロリータファッションが大好きなのに、隣町に暮らすの友達以外に回りに仲間がいないらしい
土日にバイトをしてお金を貯めて
パリで行われる「ロリータ」のお茶会に行くのが楽しみなんだそうです。
地元をロリータファッションで歩いていると、白い目で見られたり悔しい思いをしているそうです。
実はチョッと分かります。
若い頃にね、人と違ったファッションをしていたから…
本当に、同じ様なファッションをしている人が少なくて
今はパリコレで喝采浴びちゃってるデザイナーの服が大好きだったんです。
大抵のデパートやファッションビルに出店しているブランドも
みんな昔は「変わった服装」って言われたりしたものです。
最も当時は「マンションメーカー」って呼ばれていて
マンションの一室で企画から営業も卸しもしていたから
知名度なんて皆無だし
個性的なデザインだったので
田舎の方に行けば行くほど、二度見やガン見は当たり前でした。
でもね、私が私でいる為の感性に包まれていないと
めちゃめちゃブルーな気分になった…
誰にでもある様に「譲れない」何かが、自分のど真ん中に住み着いて…
いまだに出ていかないから、コレが私の核なんだと思う。
混んだ電車に乗って目的地に着いてしまえば、自分達のテリトリーです。
仲間とよく言った言葉が
『駅までが勝負』
その頃のファッションの変革がベースにあって
今のモードやストリートが有ると思う。
あの頃の日本のファッション界も世界のファッション界も、本当に詰まらなくて上質な生地を使っている事以外なにも得る物が無かった。
そこにストリートからのモードが世界を変えて行ったんです。
その流れは今も続いていますよね。
そのメーカー達が力をつけて直営ショップを出したり、雑誌を席巻し終いには「パリコレ」に参加する頃
青山、原宿界隈には世界中のバイヤーやデザイナーが来ました。
誰でも知っている海外ブランドやメーカーもこぞってやって来ていました。
マダマダだと思われていた日本のファッション界からの新しい波
その瞬間を感じる事が、一翼までとは行かなくても波を起こす側にいられた事を幸せだったと思っています。
今は少数派でも
そこに優れた光が有れば、きっと輝く日がくる。
隠しても人を惹き付ける光が漏れてしまうんです。
皆とか、多数派なんて、曖昧で不確かなもの。
風向きが変われば、全てひっくり返ってしまうものなんです。