そのた

□緩い策略は小さな我儘から
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「大殿ー?どこにいるんですかー?」

うろうろと、口の横に手をやって呼び掛けながら大殿を探す。はやくここだよーと言って出てきてくれればいいのに、全然気配が感じられない。ため息をついて廊下の端から空を見上げると真っ青が視界いっぱいに広がった。

…先ほど輝元様に大殿を呼んでくるよう頼まれて部屋に行ったときには既にもぬけの殻で、途中で開かれたままの本や書きかけの書が散らかしてあるだけだった。あの方のことだから輝元様に面倒ごとを頼まれそうなのを察知してお逃げになられたように感じる。

「…あぁ、いいお天気」

こんな日はのんびりお昼寝でもしたくなる。早く大殿が見つかりさえすればちょっとは休めるかもしれないのに…。

「あ、そうか」

こんなに城内を探していないのだからお庭に出ていらっしゃるのかもしれない。こんな気持ちいい晴れの日だから気分転換にお散歩にでも。
早速履き物を履いて庭に出る。きっと大きな紅葉の木が植わっているあそこだろうと目星を付けて向かった。入れ違いなんてこともあり得るだろうから、迷子の子を探すみたいに大殿大殿と何度も呼びながら。

「おー…お?」

木の下に人影。きっと大殿だと近寄って口をお、の形のまま開いて足を止めた。
膝の上に開きっぱなしの本、首を少し傾けて木漏れ日を受ける大殿は目を閉じている。じゃり、と私の足音が立っても何の反応もない…気持ちよさそうに、寝ている。

「おお、との?」

それは起こすのが躊躇われるくらい安らかな寝顔で、思わず見惚れてずっと見ていたくなるようだったけど、でも私は大殿を呼びにきたのだから…。

「…んー」

いきなり大殿がもぞっと動いたものだから私はびくりと半歩後退ってしまった。結局1分くらい立ち往生していたものだから。

「起きて、くださ…」

尻すぼみになる声。薄く開かれた大殿の唇から小さく零れた自分の名前が聞こえてドキリとした。依然眠ったままの様子であるから尚更。
頬が熱くなるような狂おしい感情と共にほんの少しじわりと感じた切なさに頭を振って、一歩踏み出して腰を屈める。

「おっ、ひっ!」

肩を揺さ振ろうと伸ばした手をいきなり掴まれ情けない声を出してしまった。三寸先に、目を細めて微笑む大殿。

「おはよう、名無しさん」

「いっ、いっ、いつから!」

いつから起きていたのですか、はたまたいつからが計算だったのですかと尋ねたいのか自分でも迷ってしまった。

「今起きたよ?」

「うそ、ですよね?」

返事は無く、大殿は小首を傾げておかしそうに笑うだけ。本を閉じ脇に避けて、とんとんと私の手を掴んでいるのと逆の手で膝を叩いた。

「ここ、おいで」

くらりと眩暈がするくらいの誘惑。大殿はどれだけの思考をかき乱すのだろう。

「そっ、そんなのだめです、私、輝元様に大殿を呼んでくるようにって、言われて…」

「輝元には後で言っておくから、ね、少しだけ年寄りの我儘を聞いておくれよ」

ぐっと言葉に詰まる。ずるい言い方だ、きっとそれを分かって使ってらっしゃるんだ。知ってるけど私は逆らえない。

「そしたら、早く輝元様のところに行ってもらいますからね」

胡坐を組んだ大殿の上にそうっと座る。なんて恐れ多いことをしてるんだろう、だけど特別に許されてるんだという気持ちが私をいつも迷わせる。

「一緒に読んでみないかい?」

大殿は私を両腕で囲うようにして先ほどの本をまた開く。

「私には難しいです…」

「字を追うだけでもいいから、ね?」

いつもより耳に近い声がじわじわ体温を上げる。本の内容に少しでも集中しようと思うのにそうしようとすればするほど背後の大殿の気配ばかり気にしてしまう。

…こんな気持ちもこんな感情も間違ってるのに、なのに鼓動が高鳴って仕方ないなんて、甘くて苦くて切ない拷問みたいに。


結局輝元様が自ら大殿を探しに来るまでそのまま大殿と一緒に本を読んでいたのだった。
ぷりぷり怒る輝元様を軽くいなして大殿は私に微笑む。


「名無しさんと本を読みたいと思ったところから始まっていたんだよ」

そんなこと言われたらまた、勘違いしてしまうのに。

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