ジョジョ暗チ中心夢

□哀愁カプリッチオ
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来るとも来ないとも知れない客を持つのは、愚かしいことだろうか。

私は二人分のコーヒーを目の前に、ぼんやりとそんなことを考える。
並べられた2つのカップには、彼が好きだと言ったエスプレッソが注がれている。

もうすっかり温くなったその液体を、私はため息を吐いて流しに捨てた。
だって、彼と一緒でないと飲む気になんてなれない。私はそれが好きでないから。

彼を彷彿とさせるような黒が、流しを濡らして流れてく。コーヒーの匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
強制的に彼との時間を思い出させるその香りは、まるで麻薬のようだった。


…会いたい。彼に、会いたい。

私はそんな泣き言がうっかり口の端からこぼれ落ちてしまわないように、ぐっと唇を噛んだ。

「また来る」とも「次会うときは、」とも言わない彼を勝手に待っているのは私なのだから。
確実に彼の口から発せられた「愛してる」という言葉だけを信じて勝手に待っているのは私、なのだから。

泣いてしまいそうだったから、固く目を閉じた。
まだ涙なんて流してないのに、私はしゃくりあげた。


「…泣くな」

その時突然背後から包み込まれたことに、今最も会いたかった彼の声に耳元で囁かれたことに、私はきっと生涯の中で一番驚いたと思う。

思わず見開いた目から涙がこぼれ落ちて、頬を伝っていくのを感じた。


「リゾットが来なければ、泣いてなかった」

涙声で強がりを言ったって、全く説得力が無いのは分かってる。
だけど、いつ来たのか?音もたてずにどうやって入って来たのか?そんな疑問も気にならないほど胸がいっぱいだったから。

会いたいと願った彼がここに存在している。それだけで…。


「本当は、姿だけ見て行こうと思っていた」

安堵からか嬉しさからか…涙の止まらない私に、彼が言う。
…彼と触れ合った部分が温かくて心地良い。

「私が泣きそうだったから、そうしなかった訳?」

それじゃあ、彼から何週間も音沙汰の無いくらいで泣いてしまう弱い私に感謝しなくてはいけない訳だ。
相も変わらず強がろうと頑張る私はそんなことを思う。

「お前が悲しむのを見たくないから、黙って行こうと思っていた」

…それって、どういう意味?

私は彼の言葉の意味を深く考えもしない内にその答えが出たような気がして、頭が真っ白になった。

「ねぇ…リゾットの、顔見たい」

振り絞った声は、情けないくらいに震えていた。

「…駄目だ」

「っ、どうして…」

彼の顔さえ見れば、彼の考えも、気持ちも、全て分かる自信がある。
それほど彼を愛してるから。

…彼の腕の力が強くなる。もう、苦しいくらいに。


「…決心が、揺らぐ」

初めて聞いた、彼の弱音。
彼にどうな決心があるのだろう?そんなこと、私が知る術などありはしないけれど。

「俺がここから立ち去ったら、全て忘れろ。俺と過ごした時間も、俺という存在も」


口調こそ淡々としているが、その台詞は酷く悲しいものだった。

強がりだとか、もうそんなことは不可能なほどに、私は取り乱した。
そんな言葉は聞きたくない。

「や、」

泣きじゃくりながら言葉を紡ごうとする私の口を、リゾットの大きな手が塞いだ。

「身勝手な男だったと恨め。そしてすぐに忘れてしまえ…こんな最低な男のことなど」

私は力の限りにもがいた。だけど彼はびくともしない。
…彼に伝えたい言葉は山ほどあるのに、言いたいこともたくさんあるのに、彼は私に何も言わせないつもりなのだ。

本当に身勝手すぎて、恨む気になんてなれやしない。
忘れられるはずもないのに、絶対に忘れてやる訳も無いのに。


暫く彼は何も言わなかった。
部屋には私のすすり泣く声だけが響く。


「……愛してる、それだけは確かだ。今までも、これからも」

そして、切なく耳元で囁かれた言葉。

…本当は忘れさせる気なんて無いんじゃないか…矛盾してる。
それとも彼は気付いていないのだろうか。その言葉がいつでも私の心の拠り所であるであることに。

ゆっくりと、私を拘束する力が緩くなる。
私はもう、リゾットに言葉を投げ掛けようとすることも、顔を見ようとすることもしなかった。

「愛してる」なんて。

そんな言葉だけで、私は彼を許すと言うのだ。
私の気持ちなど聞いてくれない、身勝手な彼を。

「それと…お前の淹れるエスプレッソは旨かった」

彼の温もりが完全に離れる直前に耳に届いたのは、そんな言葉。

そして、部屋にはひんやりとした空気と私だけが取り残される。


私はずいぶん長い間呆然と立ち尽くして、やがてゆっくりと、流し台に置かれたカップを持ち上げた。

一つしゃくりあげて、私はカップの縁に唇をつけて傾けた。
カップの底に残った黒い雫が、舌にじんわりと苦味を残して消えていく。

…やっぱり、好きになれない。
彼の言う通り旨いのかどうか、自分では分かりもしなかった。



(それでもその次の日からもずっと二人分を用意したし、残ったエスプレッソは全て自分で飲み干すことにした)

(それは彼のことを忘れないためであり、そうすることで彼の身勝手な命令に背いてささやかな反抗を示しているつもりだった)



哀愁カプリッチオ

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