しゃぼん玉。

□Long Lovin'Tonight.
1ページ/3ページ


 幻聴が聞こえて、自分はもう生きていくこともできないのだろうかと、彼は夢現に思った。絶対にあり得ないのだ、独り暮らしの朝に可愛らしい女性の声で起こされるなんてことは。
「起きて」
 もう一度同じ言葉を聞いて、それでも彼は反応しようとはしない。どうせまだ夢を見ているに違いない、もしくは昨日呑んだチューハイが残っているだけのことで、目を開けてしまえばこの甘美な世界は終わりを告げるのだろう。
「起きなさい」
 言葉に少し尖りが出てきたように、彼は感じる。おかしいかな、彼には他人に叱咤され命令されることを快感に思う趣味はない。潜在意識がそれを主張しようとでもしていなければ、こんな夢は見ない。一度また、夢を見ない眠りにつこうと、彼は脳内で羊を数え始めた。
「──起きなさい!!」
 怒鳴られて彼は、ようやく起きてみる気になる。怒鳴られる夢のなかで羊を数え続けることほど困難なことはないし、これも神の思し召しかもしれない、早起きして休日を有意義に過ごしてみよう、そう思ってまぶたを開けた。
「は?」
 どうしてだろう、目の前には美人と呼んで差し支えないだろう、同年代の女性が立っている。誰だかわからないがそれでも見覚えがないわけでもなく、余計に彼は混乱した。
「誰?」
 寝ぼけた目を擦りながら問うと、彼女は何故か目をつり上げ、眉間に皺を寄せる。
「忘れたの? この私を」
「……わからない」
 真剣に彼が答えると、彼女は笑った。
「まぁ、三年前まで黒髪に眼鏡の地味な女でしたからね……。桃だよ」
 あらかじめ用意していたのだろうだて眼鏡を着ける彼女──桃を見て、彼はようやくそれが誰なのかを理解する。地元で暫くを共に過ごした幼馴染み、──初恋の相手。だが、桃がこの場にいることがさらに、彼を困惑させる。
「何で?」
「クリスマスだから。……はっきりさせたくて」
「何を?」
 それは……、そう呟いて、桃はカーテンを開ける。太陽はすでに高い位置にあり、彼はもう昼過ぎであることに気付いた。
「クリスマス・イブなのに寝てるってことは、彼女いないの?」
 桃は率直に問いかける。相手が相手ならその言葉はさっくりと心を削るのだろうが、彼はほとんど動じなかった。
「就活だったしな」
 ──それにお前がいるしな。
 続く言葉は心のなかでだけ発する。彼は軽く頭を振って、お前はどうなんだよと問う。
「いないよ。いないからここにいるんじゃん」
 桃は笑って、部屋の真ん中に腰を下ろす。薄っぺらいカーペットだなー、と呟いて、持参したコンビニ袋から取り出した紅茶を飲む。
「そうか」
 彼は軽く流して、自らの寝ていた布団をたたんで、隅に寄せた。
 
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ