しゃぼん玉。

□兎。
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 ことの始まりは間違いない、小学三年でいった遠足にある。先生たちに引率されてそのとき行ったのは、市立動物園だった。
 真っ先に彼女が向かったのは、ふれあいコーナ。そして躊躇いなくアルビノのウサギを抱き抱え、彼の前でかわいく笑った。
 彼女はそのとき兎に恋し、
 彼はそのとき彼女に恋した。

 花火が数発上がって、文化祭が開幕する瞬間、中庭に集まっていた生徒たちは皆、跳んだ。
 そしてすぐに散開し、自らの催す企画場所へ戻る、あるいは運営の仕事や宣伝に歩き回る。無数の生徒が色とりどりに自らを染め、忙しなく動いていた。
 校門に設置されたアーチの下もまた、こちらは来場者で賑わっている。周辺には幾人か生徒もいて、一人はホストのように、一人はバニーガールと化し、一人は死者のごとくいた。
 来場者たちが楽しそうに、校舎へと進みいく。

 深山夏彦は制服のズボンにクラスTシャツを着て、客から金券を受け取っていた。開始早々に物好きが、ラムネを買っていく。受け取った金券を台紙に貼りながら、夏彦は窓から外を見る。日照りが少し強すぎる気がした。
「なぁ夏彦〜、いいのか〜?」
 のんびりと歩いてくる友人に問われ、夏彦は怪訝な顔をする。
「なにが?」
「……知らないんだな? ……いや、俺は何も言わなかったことにしてくれ」
「……吐け」
 夏彦に全力で睨まれて友人は、──逃げた。
「待てっ!!」
「待たねぇよ! 愛しの由利亜ちゃんのかわいい姿のためだ!!」
「もういい。由利亜がなんかしたんだな?」
 返事を待たずして夏彦は進路を真逆に取る。再加速して向かうのは昇降口。
 由利亜はかなりの天然だ。幼馴染みならそれはもう、いやというほど知っている。大方今日も何か、クラスメイトに唆されて破廉恥な格好をしているのだろう。宣伝に使うなら昇降口か、もしくは正門が王道だ。
「飽きもせずに全く……っ」
 下駄箱と下駄箱の間を全て確認して、それから正門へ。
 遠目に見るだけで物凄い異質な集団がそこにはあった。
 メイド、執事、バニーガール、侍、小学生、そんなコスプレは当たり前、挙げ句はスクール、ビキニ、ワンピースと水着をきた女子の姿まである。受付の先生だって目のやり場に困るだろうに、夏彦は少し哀れに思いながら、由利亜の姿を探す。

 沢村由利亜はウサ耳にボンテージを着てタイツを穿き、しかもその色合いが見事に黒く、完全にバニーガールになりきっていた。勧められてかわいさに惚れ、自ら着た。通り過ぎる人が自分を見て笑ってくれるのが、何となく嬉しい。
「由利亜っ!!」
 腰を折って挨拶する間に呼ばれ、由利亜は振り返ろうとして尻餅をついた。
「いったぁ……。なぁに? なっくん」
「なぁに? じゃねぇ!」
 夏彦は由利亜の手をとって立たせ、そのまま連れ去る。耳にブーイングが入ってくるが、当然だと言わんばかりに無視した。
 企画のない生徒専用エリアにきてからようやく、夏彦は由利亜の手を話した。
「着替えろ」
「何で〜? かわいいでしょ?」
「……かわいいよ。だから着替えて」
 夏彦は更衣室に歩いていく。「待ってるから」
 由利亜を女子更衣室に半ば押し込み、夏彦はため息をついた。
 由利亜はかわいければ何でも身に付ける。ときとして、ありとあらゆる視線を集められる服装である上に、彼女自身の童顔よりな顔つきや魅力的な体型と合わさって、女子までもを虜にする。夏彦はそれが、嫌だった。
 かわいいからこそ、かわいいことを知っているからこそ、誰にも由利亜を見せたくない。
 告白などしていない。でももう何年も前から確かに、由利亜に恋している。取られる──語弊がありそうだがしかし、とられるのは絶対に、
 ──違う、オレだけのものにしたいんだ。
 好きになって好きすぎて、だからこそもう何年も一緒にいて、意識しないで話せて、名前も呼べる。幸せだけれど。
「おまたせっ」
 制服を着て腕に先程までの衣装を抱え、由利亜がでてきた。
 夏彦はその目を見据え、告げる。
「……頼むからもう、そういう服は着ないで」
「何で?」
「何でもだよ……!」
 床に、由利亜は衣装を置いた。
「私を独り占めしたいから?」
 言葉に躊躇いは欠片も、含まれていない。夏彦は一瞬で顔を朱に染めた。
「……どういう? 意味が」
「違うの?」
「違わない、っけど!」
「けど?」
 夏彦はうつむいて、反論を諦めた。由利亜が続ける。
「私ね、知ってるよ。これを着たら色んな人の目を集めるって。いくら天然でもさ。でもそれでもしなっくんが、嫉妬してくれるんなら、他の人に見せたくないって思ってくれるんなら、って」
「……そのために?」
「うん。ねぇなっくん……。私のこと、好き? 独り占めしたいって、思ってくれた? 私は全部なっくんのために在るんだよ?」
「……今のさ、聞かなかったことにしていいか?」
 僅かに目をそらして、夏彦は問う。由利亜は瞳に皆涙を浮かべる。
「……どう、して?」
「聞かなかったことにしたいんだ。告白はオレからにしたいから」
「……ばか」
 溢れてしまった涙を、夏彦は指でぬぐう。
「好きだよ、由利亜」
「……ばか」
 由利亜は笑った。ウサギを抱き上げたそのときその瞬間の笑顔と、重なる。
「かわいい……」
「ふぇ? 私?」
「そう。……なぁ、ウサギ飼おうか。二人で。アルビノのやつ」
「……うん!!」
 もう一度笑う。その由利亜の笑顔を見れるなら、ウサギを飼うことだって、面倒にも思わない。
「今度、買いにいこうな」
「うん!!」
 夏彦は由利亜の頭を撫でて、それから腰に手を回して、抱きしめた。

 ──二年三組深山夏彦、沢村由利亜〜。担当の時間過ぎてんぞ〜。早くこ〜い。まっ、まさか夏彦てメぇ、由利亜ちゃんを独……。
 
 文化祭は平和に流れ行く。
 

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