しゃぼん玉。

□存在価値
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「嫌悪感だよ」
 とある街角のカフェテラス、その窓際席で男は、対面に座る女の問いに、答えた。
「なんで急に? か。嫌悪感だよ、嫌悪感」
 繰り返し、自らに言い聞かせるかのよう。苛立ちと苦しみと、そして嫌悪を含む、そんな口調だ。
 女は、自分のグラスからアイスレモンティを、一口飲んだ。グラスを置くとき、氷に反射した光が目に入って、男は顔をしかめる。
「意味が解らないわ。何に嫌悪感なんかもって、だからってなんで存在意義なのよ」
 味に不満だったのか、女は紅茶にガムシロップを加えた。
 あぁ、と男は頷いて、珈琲をすする。ブラックを、顔をしかめることなく飲むその姿を、女はわずかに尊敬した。
「そうだな……解りやすく、説明しよう」
 男はもう一口、珈琲を飲んだ。
「例えの話だ。正義のヒーローってやつは、悪の手先、あるいはその親玉と戦う。その過程でビルが倒壊することもあるし、崖が削がれ崩れることもある。ときには木々を焼くだろう。……極めつけ、人を生命の危機に、いや、人の命を奪うこともある。だが正義のヒーローは絶対に、誰にも恨まれない。……何故だか、分かるか?」
 男は、自らその答えを告げなかった。女に答えを求めている。
 だがしかし、女にはその答えなど分からなかった。それこそ、小学生のように陳腐な解しか得られない。
 諦めて女は、首をふった。
「いいえ。分からないわ」
「……だろうな」
 男はウエイトレスに、二杯目の珈琲を注文した。
「簡単なことだ。先に述べた、正義のヒーローがなす罪よりも、人々を救うその行為が持つ価値が、でかいからだ。補ってあまりある、それがヒーローを英雄に仕立てあげ、罪をなくしているんだ」
「それで?」
 珈琲を受け取って、男は今度はミルクとシュガーを入れる。かき混ぜて、一気に飲み干した。
「俺は生きているだけで罪を犯している。……犯罪じゃない、罪だ。生きるために二酸化炭素を排出し、生きるために植物の命を絶ち、生きるために動物を喰らう。罪だろ? だから俺も、正義のヒーローのように、その罪を帳消しにする、価値ある行動をとらなければならない。……つまり、存在価値が必要だ」
「成る程……。私には有るのかしら、それ……。貴方にはあるのを知ってはいるけれど」
 男は、さぁ、と呟いた。
「俺はそれをお前からは聞かない。そしてやはり俺は、お前の存在価値をお前には告げない。なぜなら知ってしまったならそのとき、俺はその価値を満たす人間であることを義務付けられてしまうからだ。俺は現時点で、俺のアイデンティティを、俺の存在価値を探すことでしかできないからだ。だから俺は生きる。例えそれが嫌悪感でも良い。存在価値を見つけられる動力源を、俺は得られた。だから俺は生きていける。罪を忘れて。存在価値を見つけられたなら、そのとき俺は、罪を帳消しにして、アイデンティティができる人間になれるはずだ。だから何としても、存在価値を見つけなければならない」
 女は、アイスレモンティを飲みきった。そして首を振る。
「やっぱり全く解らないわ。でも私は貴方を応援する。私の今の存在価値はきっと、それだから」
 女は、席をたって、男に別れを告げた。
 男はそれに応え、手を、振った。
 

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