しゃぼん玉。

□雨の夜
1ページ/1ページ


 容赦なく、雨粒がアスファルトを叩いていた。
 屋敷、そう表現するに値する大きな家のテラスで、彼はタバコを吸ったその煙を、虚空へと吐く。スッと溶けていくその粒子が、自らを映している、そんな気がして憂鬱になった。独身の俺はこうやって消えるんだろう、と。
 ──明日が平穏だと良いな。
 何年か前、まだ少年だった頃、全く同じ天気を、彼は見た。その次の日になって男は、すっかり晴れた空のもと、一人の少女を、

 殺した。

 空には雲ひとつなかった。地面には水溜まりひとつなかった。不安要素は何ひとつなかった。
 16の夏、彼は単車の免許をとった。彼は元々運動能力が高く、運転は容易く、自信もある、俺は安全に運転できると思い込んだ、そんな“クソ餓鬼”だった。
 海にいこう。
 付き合っていた彼女に言われ、すぐバイクに乗った。ヘルメットを被って腰に手を回す彼女の暖かさを感じて、鼓動が高鳴る。その時初めて後ろに人を乗せることの重圧を知って、しかし退くわけには行かなかった。退けばよかった。
 スムーズに、タイヤは滑り出した。
 気持ち良いねっ!
 嬉しそうに踊るかのような口調が嬉しくて、彼はスピードをあげる。走りなれた道、いつもと変わらない速度、見慣れた景色。でもそこは別世界だった。

 信号は、赤だった。
 彼はそれを見ていなかった。
 彼女も、見てはいなかった。
 止まるはずないと、思った。
 信号は、赤だった。
 
 一瞬のうちに単車はへこみ、彼の左足が折れ、二人は空を舞い、彼女は頭から落ち、彼は受け身をとった。
 パトカーがくるまで、時間はかからなかった。巡査は彼を、“クソ餓鬼”と呼んだ。

 アイツが殺したんだ!!

 彼女の父は、男が葬式に参列することを、良しとしなかった。
 彼は病室で一人、涙も流せず、しかし泣いた。
 何年経ったろう。
 雨がそっくりだ、事件前夜に。
 ──明日が平穏だと良いな。
 翌日男は、彼女の墓をバイクで訪れて、彼女が死んでからはじめてとなる涙を、流した。
 青い空の、下で。
 帽子を脱いだ男の頭には、白髪しかなかった。
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ