しゃぼん玉。

□放課後キャンパス
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 水をペットボトルで作った容器に入れて、美術室に並ぶ机の一つに置いた。画用紙を取り出して、少し離して眺める。
 描かれているのは花火。夜空は黒ではなく、紺と藍のマーブル。火花の一つ一つが輝いて見えるよう、丁寧に絵の具が乗っていた。下部にだけ、白地。
「さて、と」
 席について、彼女は絵筆を手にとった。
 授業中には恥ずかしくて描けなかった。浴衣姿の女の子と、甚平を着た男の子。モデルは、少女自身と、彼──片想いの、相手。
 誰もいないこの静かな部屋で今なら、描ける、そんな気がする。肌色の絵の具をパレットへ、チューブから絞り出す。横にならんでわずかに白を。
 水分を含ませた筆で混ぜる。
 ただ自分が彼を描ける、そんな些細なことが、嬉しい。前に座っていてくれなくても、彼の笑顔なら記憶だけで簡単に描ける。
 一筆、画用紙に置く。
 視界の片隅で木製の扉が、開いた。
「あれ? 平井も居残り?」
「え? あぁ、ち、違う……違くない、居残り」
 入ってきた彼の姿に、驚きを隠せない。動揺も、隠せない。
「どうしたんだよ平井。大丈夫か?」
 ニカッと笑いながら、彼は自分の水を汲んで、少女の向かいに座った。
「だだだ、大丈夫」
 裏返った声で返す。普段なら一言も話せずに遠くから見ているだけの、彼が近くにいる。話しかけてくれている。
「鷹松くんも、居残り?」
「そ。ったくあの先生ひどいよな〜。なんで居残りかな……」
「終わってないから、だよね?」
 だけどさぁ、そう呟きながら彼は赤のチューブを力一杯握った。
「明日までにしてくれりゃ部活して帰ってからやれんのに。部活の時間がさぁ……」
「アメフト、楽しい?」
「楽しい楽しい。なんなら平井もやる? ……マネージャーとか?」
 彼は粗雑な手つきで画用紙を塗る。スイカなのだろうが、水分を含んだ透明感を示せない色彩。絵の具自身の含む水気も少なくコッテリと。
「何で疑問形なの……」
「平井苦手かなって。普段男と絡まないタイプだろ?」
「……そうだね。でも絡みたくない訳じゃないんだよ?」
「分かってるよ。見てりゃ分かる」
 紙の縁に沿って緑を塗る。四角いスイカなのはきっと、余白を塗るのが面倒だからだろう。
「あのさ。ここに鷹松くん、描いていい?」
「あ? オレ? ……いいけど?」
「ちなみにこれは一応私で、並ぶことになるんだけど……」
「いいっていいって。むしろ平井みたいな娘と並べるなら、幸せだぜ?」
 少女は驚いて、水入れを肘で倒した。
「うわ馬鹿何やってんだよ!?」
「だって、鷹松くんが変なこというから……。私なんかと」
「平井、自分をどう思ってる?」
「暗くてかわいくない」
 きっぱりと、少女は言い切った。
「まぁ確かに雰囲気暗いかもな。でも前髪分けたらかわいくなるよ?」
「へ?」
「ほら走ってたりして前髪が退くとかわいいの知ってるよオレ。それ」
 彼は少女の前髪を両手で分けた。ワイシャツの袖口につけていたヘアピンを通して固定する。
「かわいいよ?」
「は、恥ずかしい……!」
 少女はピンをはずそうと腕をあげるが、彼はその手をとった。
「だーめ。平井のためにピン用意したんだから」
「でも」
「でもも何もない。だめ。んでさぁ……」
 彼の方が紅く染まる。夕日を受けて、茶色い髪が輝いた。
「オレの彼女に、なってくれませんか?」
「……ぇ!? ちょっ」
「大体今日そのためにきたんだしさぁ……」
「鷹松くん?」
 彼は最初のようにまた、ニカッと笑った。
「返事は、今は、だめ?」
「え、えと、はい? でいいの?」
「いいんじゃねぇの? さ、も遠慮なくオレとの花火デート描いてくれ?」
「う、うん」
 少女は緻密に、筆を滑らせた。

 提出された課題の二人はきれいに笑い、スイカには種で“Happy”と記されていた。
 

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