短 編 

□  日暮
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「何やってんだ?」

一の滝に修行に来た剣心は、今まさに木によじ登っている薫を見つけ思わず声をかけた。

「何って・・・木登り?」
「や、だからなんで木の登ってんだ?」

やっと太い枝まで登った薫は、よいしょとそれに足をかけ立ち上がった。
普段見慣れない景色。
新緑の匂いを乗せた風を肺いっぱいに吸い込むと、さっきまでの苦労が一気に吹き飛び清々しくなる。
薫はニコニコしながら答えた。

「あれが近くで見たくて。」

薫の指差す方向には、遥か高くに桜の木があり今は盛りにと咲いていた。
まさに高嶺の花だ。
剣心は薫の余りの無謀さに頭を抱えた。

「薫じゃ絶対に無理。今すぐ下りて来い。」
「なんでよっ。失礼ね。」
「桜にたどり着くまでに夜になるか、落っこちるかどっちかだ。だから下りて来い。」
「イ・ヤ・よ!」

プイと顔を背け再び木に向き直る。
予想通りの展開だったが、剣心は眉を顰めた。

「なら俺は落ちるかもしれん薫の傍で修行をしとけばいい訳だ。」

剣心は腕を組み、どうなんだ?と視線を送る。
薫の顔が少し曇る。

「・・・解ったわよ・・・」

しぶしぶそう呟くと、飛び降りるため下を見た薫
はこちらに向かって両手を広げている剣心を見つけ驚いた。

「気をつけろよ。」

ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、剣心の色素の薄い目からは気遣う気持ちが溢れていた。
戸惑いつつ剣心の腕に飛び降りる。
顔からは想像も付かない力強い腕に受け止められた薫は、少しの衝撃も受けずに無事地面に降り立った。
剣心の腕の中は暖かく太陽の匂いがして・・・その事実が薫の心臓を一つ大きく跳ねさせた。

「重・・・」
「うっうるさいわ・・」
「これ、持って待っとけ。」

剣心は薫の言葉に覆い被せるように言うと、強引に刀を押し付けた。
一気に跳躍し薫が立っていた枝に手をかけクルリと身を乗り上げた。そのままスルスルと木をよじ登りお目当ての桜を一房摘むと、あっという間に薫の元まで戻ってきた。

「ほら。」
「あ、ありがと」

思っても見なかった展開に戸惑いつつ桜を受け取った。手渡された桜は、桃色で金魚の尾ひれの様なふわりとした花弁が幾重にも重なり、こんもりとした花だった。
桜を不思議そうに見つめたまま薫は剣心に聞いてみた。

「これ、桜?八重桜?」
「あぁ。日暮って言うらしい。師匠が言ってた。」

刀を腰に差しながらそっけなく言う剣心の横顔を見つめた。
真っ直ぐに通った鼻梁。
赤い髪が色素の薄い瞳を引き立てていて、とても綺麗で・・・薫はつい日暮を剣心の耳に飾ってみた。
驚いた剣心は眼を見開いて薫を見た。

「剣心、凄くよく似合う。」

露骨に嫌そうな顔をした剣心を目の当たりにして思わず噴出す。
剣心は日暮を取り上げると薫の耳に飾った。

朝焼けに照らされた紺の髪が日暮の桃色とよく合い、大振りの花は華やかな薫の顔立ちにとても似合っていて・・・
思わず言葉がついて出た。

「薫の方が可愛い。」

今度は薫が目を見開いた。頬が日暮色に染まっていく。
剣心は薫の視線に気付くと自分の言った言葉を理解し、しまったと内心舌打ちをした。が、直ぐに悪戯心がムクリと頭をもたげた。
真っ直ぐに瞳を捕らえ、紺の髪を梳く様に手を差し入れクイと上を向かせた。

「えっ、なに・・・」

戸惑う薫を横目に見ながらそのまま唇をゆっくりと寄せる。吐息が触れる寸でのところまで耳元に近付き・・・そっと囁いた。

「まともにとんな。馬〜鹿。」

薫の肩をポンと叩くと、そのまま向こうへ歩いていった。

頭が言葉を理解するのに数瞬・・・
残された薫はその場に腰を抜かした。

「なっ、何なのよっ・・・一体・・・」

からかわれた事実よりも、微かに触れた吐息が熱くて・・・
「可愛い」と言われた事が、衝撃的で・・・

今の薫に剣心の耳も日暮色に染まっていた事に気付く余裕はなかった。



*****   *****


水に浮かべた日暮を見た比古は、刀の手入れの手を止めた。

「珍しいな。日暮か。」
「剣心が取ってきてくれたんです。」
「馬鹿弟子が?」
「はい。」

薫は少し頬を染め、水に浮かんだ花をちょんと指でつついた。

「あの朴念仁が、花をねぇ・・・」

にわかに信じられないと言った表情をした比古は不思議そうに日暮を見てそう呟いた。
ふわふわと水に浮かぶ日暮の花弁の上では、雫が夕日を受け止め淡い光を瞬かせた。

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