頂 物

□桜
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地面にどっしりと根を下ろしたその大樹は、

暖かな風を微かに感じられる季節になると、

薄い桃色の花を満開につける。






大樹に囲まれた裏参道の細道は、

春風によって落とされたその桃色の花弁を一面に敷き、

何処か幻想的な雰囲気を醸し出していた。







【桜】








抜刀斎は薫と二人、桜並木のある裏道を歩いていた。


いつもは余り我儘を言わない薫だが、

「どうしても見たい景色があるの」

と言って、嫌がる抜刀斎を無理矢理引き摺り、この道まで連れて来たのだ。















「……ちょっと、何時までそんな仏頂面でいるつもり?


もう此処まで来てしまったんだから、そんな顔をしないで楽しみましょうよっ。」




薫は何時までも仏頂面を作っている抜刀斎に、少しだけ むっ としたが、

直ぐに何時もの華やかな笑顔で笑い掛けた。





抜刀斎は薫の笑顔を見て少し頬を赤らめたが、仏頂面は相変わらず。

むすっとしながら話し出した。









「………今日は珍しく休みだったんだ。

どうせなら部屋で薫とゆっくり過ごしたかったのに。」









抜刀斎は恥ずかしげも無くそう言い、薫を見た。



薫はそんな抜刀斎の言葉に、一瞬で首まで赤くし、俯いた。










抜刀斎は二人っきりになると、とても大胆な事を言う。


思った事を素直に口にして、薫を狼狽えらせる。



そんな抜刀斎に未だ慣れることが出来ず、薫は何時も顔を赤くして俯く事しか出来ないのだ。










抜刀斎は、桜より色鮮やかく変わっていく薫の頬に手を当てて、にやり と口許を歪めて笑った。







「……薫は俺と二人になると何時も赤くなるな。

………何でだ?」








さらり と意地の悪い質問を投げ掛ける。







薫は赤くした頬を更に真っ赤に染め上げ、抜刀斎を睨み付けた。







「〜〜っ、分かってる癖にっ!」





そう言い、ぷいっと顔を横に向けた。







抜刀斎は可愛らしい薫の反応を見て、軽く「ははっ」と笑い、
薫の頬を、自分の手の甲で軽く撫で上げた。








「ごめん、ちょっと意地悪を言いたかっただけだ。


……薫と二人で過ごせるなら……

本当は何処だって良いんだ。」







抜刀斎はそう言い、薫の髪に絡まった花弁を一枚掴んだ。

親指と人指し指で挟んだ桃色の花弁を、くるっ と捻ってみる。


花弁は紙縒(こより)の様によれて、抜刀斎の指に微かに感触を残した。










薫は赤くなった頬をそのままに軽く微笑み、桜並木に眼を向けた。












何処までも拡がる桃色の空。


風が葉を鳴らし、桃色の花弁を雪の様に 
はらはら と降らせ、空を舞う。



はらはら と不規則に落ちてくる桃色の花弁は、

その色に染め上げた地面に ひらり と落ちて、

新しい桃色の地面を作りあげていた。












「………綺麗ね……」







薫は吐息を吐きながら、感嘆と声を上げた。



春夏秋冬の中、
春の季節の一時しか見ることの出来ない美しい光景に、
瞳を奪われていた。











抜刀斎も桜を見る。



この景色は確かに美しいとは思う。



だが、風に揺らされただけで花弁を散らすその桜が、昔から余り好きになれなかった。







余りにも儚すぎる。







抜刀斎は少し切な気な表情で樹を見上げていた。












「……桜は嫌い?」










不意に横から声がした。




少し驚いて振り向くと、桜を見ていた筈の薫が、真剣な顔で此方を見ていた。










「……………なんで…?」









抜刀斎は何故か、其だけを口にするのが精一杯だった。







薫はふっと笑いながら抜刀斎を見つめた。










「………切なそうに見上げてたし…

……それに……前から余り好きじゃないのかなって……思ってたから。」









薫は、薄く微笑みながらも話を続けた。









「………前にね。


…貴方みたいに桜が好きじゃないって言ってた人がいるの。


………直ぐ花弁を散らす所が…儚く見えて好きじゃないって。」









抜刀斎は黙って薫の話を聴く。




薫と抜刀斎の間にも、 ひらひら と桜が舞い落ちる。









「…私ね、その考え方がどうしても嫌だったの。


桜は確かに花弁を直ぐに散らしてしまうわ。


……でもそれだけじゃ無いでしょう?



今年の花弁を直ぐに散らしてしまっても、また来年に新しい花を咲かせるわ。



桜の命は巡っているのよ。


今年が終わって来年に。そしてまた次の年にも綺麗な花を咲かせるわ。



私の命が尽きて、貴方の命も尽きても。




此処の桜は生き続けるの。」








そう言って、抜刀斎に向かってにっこりと笑った。












はらはら はらはら 


桜が宙を舞う。








ひらひら ひらひら


薫の廻りを 彩り 落ちる。












抜刀斎は薫の言葉が何故か胸にすとんと響いた。










桜の命は巡る。









数多の人間を殺し続けている自分には、
何故か救われる様な言葉だった。







人の命も儚い。







刀を振り降ろしただけで、直ぐに鼓動は止まってしまう。







薫の言っている言葉は、人間に置き換えたら、手を汚した事の無い人間が言う、只の夢物語だ。





命は巡るなんて、そんな輪廻の事は誰にも分からないし、簡単に信じれる事じゃない。










―――だが、信じてみたい











そう思わせる何かがその言葉にはあった。









薫はただ、桜の命の話をしただけ。


だが、抜刀斎は、人の命の巡りについて言っている様に聞こえたのだ。










―――桜の命は巡る。

……俺が死んでも。……薫が死んでも。

桜は此処に在り続ける。






―――何時か 遠い未来で

薫と二人 

また此の桜を見ることが 


出来るのだろうか―――――













サァァァ と音を立て、桜が揺れる。


桜の花弁が舞い散り、抜刀斎の顔を遮った。


視界が薄桃色に支配され、薫の顔が良く見えなくなる。






薫の口許が動く気配がした。




抜刀斎は薫の次の言葉を聴こうと耳を澄ました。















「っと言うわけで、桜は図太いのよー。

儚くなんか全然無いわ。

何百年も繰返し花をつけるなんて、
そこら辺に咲いている花よりもかなり図太いわよねぇ。」













「……………………。」








何故だか先程物思いに耽って考えていた事が、 がらがら と音をたてて崩れた気がした。




薫の説得力十分ある先程の言葉は幻だったのか。



あの言葉に落ちを付けるのか。







抜刀斎は、がっくりと肩を落とした。







そんな抜刀斎を くすり と笑いながら見て、薫は言った。









「やっぱり桜は嫌い?

儚いと思う?」








薫は抜刀斎にゆっくりと近付く。





抜刀斎は薫を見て一瞬真顔になったが、すぐに苦笑し、薫に一歩ずつ近付いて行った。








「――――いや。

確かに儚くはないのかもしれないな。」








そう言って薫の前に立ち、両手で軽く腰を抱いた。






薫は少し赤くなりながら抜刀斎の顔を覗く。






抜刀斎は薄く微笑みながら続けた。










「………でもやっぱり好きじゃない。」









抜刀斎はきっぱりとそう言った。




薫はその言葉を聞いて、心底不満そうに口を尖らせ、


「えーーーっ、何でーー?」


と聞く。









抜刀斎は、薫の顔を一瞬意地悪げに見てから、











「……落ちてくる花弁が薫の顔を遮ってよく見えなくなるから。


だから好きじゃない。」








そう言い にやり と笑った。









薫は顔から火が吹き出るのではないかと思うぐらい真っ赤にさせた。






だが、一瞬考え、抜刀斎の顔に両手を触れて真顔でこう言った。











「……あら。それなら顔を近付ければ良いじゃない。」









そのまま顔を近付け抜刀斎の唇に自分の其れを軽く押し付けた。










抜刀斎は薫のいきなりの攻撃に一瞬呆けた顔をしたが、

直ぐに覚醒し、此れでもかっていうほど顔を赤くして狼狽えた。










「―――――っっなっ何するんだっいきなりっっ!」











………うわっ…珍しいもの…見ちゃった………






薫はここまで動揺した抜刀斎を初めて見た。


そんな抜刀斎が可愛くて、つい悪戯心を擽られ、何時もの仕返しだと言わんばかにり反撃した。








「あら、顔が赤いわよ?

どうかしたの?

……ねえ?」









「〜〜〜〜っっっ!!」








抜刀斎は薫に遊ばれていると瞬時に判断し、








「――っっ帰るっっ!」









そう言って、顔を真っ赤にしながら踵を返した。







薫は抜刀斎がいきなり踵を返して早足で歩き出した事に一瞬眼を見張ったが、

直ぐに吹き出して笑い、急いで後を追った。








抜刀斎の隣に来て手を握る。

そして顔を見上げて、










「今日は付き合ってくれて有難う。


これから部屋で二人、ゆっくりしましょう?」







そう言って微笑んだ。








抜刀斎は、薫の言葉に立ち止まり、薫の顔を見た。




薫は何時もの優しい微笑みを作っていて、胸が ふわり と暖かくなった抜刀斎は、

薫の頬に軽く口付けた。










抜刀斎は握られた手に力を込めて握り返し、

二人手を繋ぎながら、

桜並木に背を向け歩き出した。









握られた掌には桃色の花弁が一枚。



二人の間にひっそりと挟まっていた―――















――――桜よ 桜




もうお前が儚いとは思わない




命は巡ると知ったから






幾年も華麗に色濃く咲き誇れ、





またいつかお前に巡り逢える時まで







母なる大地に根を下ろし



優しく包んであげてくれ―――









―――了

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