頂 物
□花火
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「ねえ、あんたの初恋っていつ」
うとうとと眠りに引き込まれかけていた頭は、その言葉でばっちり引き戻された。思わず恵の顔を凝視する。その目は爛々と輝いていた。
…まったく女はこの手の話が好きだ。
「何だ、妬いてんのか?」
話を逸らそうと恵の顎に手をかけて顔を近づける。
が、ぱしりとその手を叩かれてあっさりかわされた。
「誤魔化そうとしてもダメ」
真顔で言う。
「お前はどうなんだよ」
思わず聞き返した。
「もう覚えてないわ」
「調子いい奴…」
その返事に深く溜め息をつくと、女狐はくすくすと笑う。
「妬いてるの?」
先程自分がしたのと同じように顎に手をかけられた。すっかりこいつの調子に巻き込まれている。
「阿呆らし。顔も知らない奴相手に妬くか」
「そうでしょ?」
「…」
しまった、墓穴を掘ったか。
「私も一緒。ただの興味本位。だから教えて」
「…16」
仕方がない。少々観念するしかない。こうなると女ってのは驚くほど粘るのだ。
「へえ、どんな人?」
「別に…」
いつもの威勢のいい態度は何処へやら、黙りがちな左之助の様子が愉しくて仕方がないといった様子で恵は顔を覗き込んでくる。
「別に、何?」
「…」
完全にからかわれている。冗談じゃない、これ以上言えるか。
「…眠い、寝る」
頭から布団を被った。
「こら、白状しなさい」
恵は何がなんでも聞き出してやるといった調子で布団を剥がそうとする。
が、そこはそれ。力では当然敵わない。
暫くうんうんと唸っていたが、梃子でも動かない俺にとうとう痺れを切らした。
「ああそう、言えない程やましいことなの。ならいいわよ馬鹿!」
そう言って向こうを向いてしまう。
そっと顔を出して覗くと、怒りの立ち上る背中が俺を頑なに拒否していた。
(最初に言い出したのはそっちだろう)
そう思うが口には出さない。言ったらどうなるかは分かりきっている。
…情けない。これでもちょっと前まで斬左と恐れられていた男か。
以前なら女を振り回すことこそあれ、振り回されることなどなかったのに。
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テンテケテンテン
ピンシャカトントン…
太鼓の音が聞こえる。
喧嘩の帰り道だった。
今日の祭の景気づけにと、喜び勇んで依頼を引き受けたが、とんだ雑魚ばかりで一気に気持ちが萎えた。
夜道を苛々しながら小石を蹴飛ばし歩いていると、少し離れた路地裏の方から男と女の声が聞こえてきた。
(まったくどいつもこいつも浮かれ気分で盛りやがって)
いつもなら野次馬根性で覗きに行くところだが、今はそんな気も起こらない。
だんだん近づくにつれ声が大きく聞こえるようになる。
が、なにやら様子がおかしい。正確な会話は聞き取れないが、どうやら男は複数で、怒鳴っているようだ。
漸く事の深刻さに気が付きそちらへ向かう。
「おいお前ら!」
走り込むと三人の男達が、一人の女に寄ってたかって身ぐるみを剥ごうとしているところだった。
男の一人の腕を捻りあげる。
「何だよお前!」
「あ…れ、『悪』…?げっ、こいつ斬左だ!」
背中の悪一文字を見た途端、転がるように三人とも散り散りになってあっという間に逃げていった。
女は地面にぺたりと尻をつけじっとしている。
「怪我はあるか」
腰を抜かしたのだろうと思い手を差し伸べた。
「いや」
しかし女はその手を取ることなく軽く裾をはたくと一人で立ち上がった。出した手のやり場を失い、気恥ずかしくなる。
「あんた、一人か」
それを誤魔化すように意味もなく袖で手を拭い、女の顔を見た。
瞬間、心臓が跳びはねそうになる。
右目が、あらぬ方向を向いていた。
「まあ。近くに杖はあるか」
「ん?…ああ」
その言葉にはっとして側に落ちていた杖を拾い女の手に握らせた。
「済まない」
触って確かめながら女が言った。
そうか、さっき手を取らなかったのは見えていないからか。
「ここらは今日、祭みたいだね」
「おう。てえと、あんたはここらの人じゃねえわけだ」
「盲法師なんだ。路銀に弾き語りなんかして、日本中ふらふらしてるよ」
「へえ、じゃあその包みの中身は琵琶か」
女の背中に大事そうにくくられている風呂敷を指さし尋ねた。…最も指さしたところで女は分かっていないが。
「そう。どうだひとつ、助けてくれた礼に」
そう言って女はそれを持ち上げる。
「是非ともな。今日は嫌なことがあって折角の祭り気分がぶち壊しだったんでェ。唄でも聴きゃあ気分も晴れるだろう」
「そうか。ところでさっきの奴らに金を盗られて一文無しだ。今夜は草枕を編むしかないな」
女があまりわざとらしく言うので、鼻で笑った。
「へ、回りくどい言い方せずに泊めてくれと言いな」
「はは。で、どうだ」
「構わねえぜ。ただし何もしないって保証は出来ねえが」
「百も承知さ」
大胆不敵に笑って言い放つ女に、好感をもった。
「随分と肝の座った女だな。気に入ったぜ、来な」
「ああ」
一歩一歩確かめながら歩く女がもどかしく、杖を引ったくると腕を引いて歩きだした。
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ピンシャカトントン
チントンシャン
並ぶ提灯、足袋を履き
腰にきりりと晒しを締めて
神輿担いで絞り染め
鼻緒が切れます日和下駄
童、母の手離すはならぬ
一人はぐれて親知らず
今夜は並々酒を注ぎ
ええい、猪口では呑み足らぬ
おっとっとっと 零れます
呑まれ呑まれていつしか見れば
空に大きな花が咲く
人混み紛れて逢瀬の二人
そっと行灯吹き消して
涙のひつる長襦袢
夜が明くるまで睦言を…
こなれた様子で唄う女の、撥(ばち)で弦を弾く音に耳を傾けながら呑む。
これ以上ない余興だ。酒が進む。
その時、どん、という大きな音とともに夜空に花火が上がった。
「ああ、この音は腹の底に響くね」
手を休めて女が言った。
「花火ってのはどんな感じだ?」
「どんなと言われてもなあ…」
正直ずっと琵琶の音色を聴いていたいと思っていたので、中断されて思いのほか気のない返事になってしまった。
「皆、花のようだと言うけれど、そもそも花ってのがどういうものか私にはよく分からない」
「――」
言葉を失って女の顔を見た。
右目を除けばあとはいたって普通で、なかなか品のいい顔立ちをしている。切れ長の左目に本当は見られているのではないかという錯覚を覚え、無意識に背筋を正した。
「…そうだな、花火ってのは女みてえなもんだ」
「女?」
「ああ、分かりやすいだろ」
「…。女か、そうか…」
顎に手を当て、あまりにふんふんと感心するので何だか言ったこちらが恥ずかしくなってくる。
「こら、今はこっちに集中しな」
そう言って腕をぐいと引くと、あっさりと頭を胸に預けてきた。
「さっき斬左と呼ばれていたね」
「気にしなくていい。名は左之助だ」
「左之助…」
伸ばしてきた女の手を絡め取って袴に導くと、器用に紐を解いてそこに頭を埋めた。
女は恐ろしく長い時間をかけ、俺の身体を確かめようとする。
手探りでまず顔を探し当てると、瞼、鼻、そして唇を丁寧になぞり、時々噛んだり匂いをかいだりした。
何度も同じ動作が繰り返される。まるでそうしていないと、俺が消えてなくなってしまうかのように。
花火が鳴る度、ぐっと指に力を込めた。
「お前は束縛するのもされるのも嫌いだろう」
女が尋ねる。
「その通り。何で分かった?」
「私は触れれば大体のことが分かるのさ」
「へええ。じゃ、あんたはどうなんだ」
笑って女は答えなかった。
ピンシャカトントン
人混み紛れて逢瀬の二人
そっと行灯吹き消して
涙のひつる長襦袢
夜が明くるまで睦言を…
夜が明くるまで睦言を…
チントンシャン
チントンシャン…
「私は嫉妬深いんだ。…お前の目を潰して暗闇に閉じ込めてしまいたくなったよ」
微睡む頭の上で、女がそう言った、気がした。
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「…?」
眩しい朝日に目を覚ます。
隣に女はいなかった。
思いきり起き上がり、辺りを探すが影一つ見つからない。どっと力が抜けるのを感じた。
「行っちまった、か」
ふと、寝乱れて皺の走る煎餅布団の移り香をかいだ。女はそれしか残していかなかった。
『お前の目を潰して暗闇に閉じ込めてしまいたくなったよ』
寝耳に囁かれたあの言葉は本心か冗談か。いや、それ以前に夢か現かもよく分からない。
顔を頭に描こうとしてもぼんやりとして焦点が合わない。
名前すら知らないままだ。だが、そんなこと今までだって何度もあった。なのに心臓が掴まれたような感覚がする。
それから暫く女の唄声が、耳に張り付いて離れなかった。