短編

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今日も余裕をもって会社へと出勤する。
しっかりと着こなしたスーツには乱れなど見当たらない。そのはずなのだが、なぜか自分が着ると冴えない印象が目につく。なんでだ、このスーツ高かったのに。
電車に乗って二駅目にある会社は近すぎず遠すぎず丁度良い塩梅で、その絶妙な通勤時間を気に入っていた。特に、俺が電車に乗る駅は降りる人が多く乗る人が少ないため、いつも1両目の前を陣取ることができる。そうするといつも車掌気分で景色を眺めながら通勤できるという具合だ。
機械オタクの気がある俺にとって、その時間は中々幸福である。
今日も上機嫌で窓の外の風景を眺めていた。電車がホームに滑り込むその瞬間、金色の髪をした女性が視界を通りすぎた。呆気にとられる俺の耳に、金切り声が届き、女性を追うように男性が目の前を、
そこから先は見ていられなかった。




「どうしたの。元気ないわね」

会社につくなり、蒼白な顔をした俺を気遣ってか部下が珍しく真っ当にお茶をいれてくれた。
スレンダーな部下と俺は所謂恋人同士という関係だ。
美人で仕事ができる彼女が何故俺のような冴えない男を好きになったのかは謎だが、いまだに続く関係が俺たちの歩いた軌跡であることに間違いはない。
俺は気遣いを有り難く飲み干し、情けなく溜息なんぞを吐いたりした。

「今日、通勤の途中で事故を見たんですよ」

唐突に話し始めた俺に、彼女は耳を傾けてくれる。
普段は悪戯好きで、本当に俺のことを好きなのかと疑いたくなるが、俺が困っている時には黙って話を聞いてくれる彼女の目は真剣で、愛されてるなぁなどと照れてみたりする。

「電車のホームから女性が落ちて、それを助けようとした男性も、一緒に。それを見たら、なにか…」

何かを思い出しそうになった。
飛び散る赤、庇いあう男女。
今までそんなもの現実では見たことなどないはずなのに、いやに目に焼き付いた。
赤が何かを責めているようだった。
まだ、思い出さないのかと。
黙った俺を見て、彼女の手が俺の頭に伸びる。

「怖いものを見たのね。意外と繊細だものね」

彼女の手が俺の頭を撫でる。
その感覚に気恥ずかしくなると同時に、忘れてしまおうと思った。
人が死ぬのを見た記憶など。何か大事な事を忘れているような、そんな奇妙な違和感など。
俺は、恋人を見て微笑んだ。






真っ黒な服を見に纏った彼女は、何故か大鎌を持っていて、それで人の波をこじ開け俺の元へ駆け寄る。
彼女の言葉に、夢の中の俺は酷く安堵して、同時に彼女の頭上に降り下ろされようとしているパイプに気がついた。
ああ、俺は、もしかしたら。
俺は彼女の手を引き、懐に抱え込む。背中に鈍い感触。周りを囲む人間が幾度も幾度もなにかを振り上げては、降り下ろす。
俺の下で彼女が叫ぶ。
ああ、もしかしたらあの子が見ていた世界はこんな世界なのかもしれない。
大事な人が常に危険に晒される、そんなひどい世界。
今さら、理解できた。
俺は震える手で拳銃を握りしめた。
もし、このまま世界が終わるなら、世界が終わるその瞬間まで俺は彼女と、あの子が愛した俺たちを守るために戦おう。
そうだ、あの子は常に選んでいたんだ。
拳銃の引き金を、引いた。




なにか夢を見ていたような気がする。
上手くは思い出せないが、とても悲しい夢。
俺は、仮眠でいくぶんかすっきりした身体で外回りに出掛けた。
いまだに下っぱ時代の癖が抜けずこうして外回りに出掛けてしまう。悪い癖だとは思うが止められない。
会社から少し離れた交差点には相変わらず人がごった返している。信号が青になった瞬間、人混みが動き出す。横断歩道で、何人もの人とすれ違っていく。
あとで予定を確認しようと胸ポケットに入れていた手帳に無意識に手を伸ばす。その瞬間、突然派手に肩をぶつけられてよろめいた。
その衝撃で手帳がポケットから飛び出してしまう。誰かに踏まれる前に慌てて手帳を拾い上げる。横断歩道の真ん中辺りだったのに誰にも踏まれなくて良かった、ついている。
そう思いながら顔をあげた。
目の前に、誰かが立っていた。思わず目を見開く。
ああ、俺は、そうだ。
射ぬかれるような視線が、ふいに途絶えた。その瞬間、腹部に鈍い痛み。
刺されたのだと気づいた頃、俺の身体は地面に叩きつけられていた。
俺の返り血で真っ赤に染まっている"誰か"は。
ああ、くそ。こんな、ところで。漸く、思い出せたのに。
無感情に俺を見下ろす視線。ああ、何も変わらなかったのかと知るには充分だった。
拡がっていく赤が鮮明に世界を染める。
ああ、せめてせめて最期彼女に、


「エイプリル、さん……」


副隊長さん。
そう呼ぶ彼女と、今の彼女が重なる。
ああ、今更思い出すなんて。
あの時泣いていた彼女に差し出せたはずの手が、今は確かにあるはずなのに。
思い出した。全て。ああ、そうだ。この世界は、狂っている。ただ一人のためだけに狂いながら回っている。幾度も幾度も間違えたページを破りながら。
血にまみれた姿が人混みに紛れて消えた。おかしなことに誰もそれを気に止めず、血を流し倒れる俺を見て悲鳴をあげる。
そうだ選んだんだ、あの子は、そして、一番悲しい道を進んでしまったんだ。
悲鳴が五月蝿い。予定調和な結末、全て望むままの。


あと、どれだけ間違えればこの世界は止まるのだろう。






×××××××××の世界
『絶えず騙られる彼の世界』
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