‡ZERO‡

Act.11 そして聖者は彼を犯した
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「じゃ、テイラー展開の例題からいこうか」


黒板に真っ白なチョークで文字が書かれていく。
ホウプは身をかたくして、教科書に顔を埋めた。
最悪だ。学校の場所が露見していた以上、遅かれ早かれこうなることは予想できたはずだ。
しかし、今は自分の思慮のなさを嘆いている場合ではない。必ず、何かしら仕掛けてくるはずだ。手のだしようがないのなら、今は平常心でそれを待つしかない。
そう思うのに、混乱して教科書の公式が頭に入ってこない。第一、テイラー展開は苦手なのだ。冪級数を得るためだとは分かるが、理屈だけ理解できていても、問題が解けなければ意味がない。


「つまり、x=aの周りでテイラー展開をしていく問題だな。xがaに近いのが重要になる。あ、テイラー展開苦手なやつは書いとけよ」


言われなくても。
少々乱雑な文字になってしまったが、取り敢えず読める範囲なので良しとする。
ふと、教壇に立つ男の足元で影が揺らいだ。
ぶわっと音をたててよみがえるのは、真っ赤な血と真っ黒な闇が混ざり合う光景。赤い、赤い、血が。
思わず吐きそうになり、派手な音をたてて教室から飛び出した。教室を出る寸前、翡翠の瞳が楽しそうにこちらを見ている気がした。
げほげほと噎せながら、手洗い場にすがり付く。吐きはしなかったが、噛み締めた唇が切れたらしく血が落ちる。
がたがたと馬鹿みたいに手が震えた。
ふと、誰かが背中を撫でている気配にゆるゆると振り返ると、アークレインが心配そうにこちらを見ていた。


「ホウプ、だいじょーぶ?」

「はい、すみません。大丈夫です」


軽く唇の血を水で洗い落とし、アークレインの頭を撫でる。


「なんか、あったの?」

「ううん。大丈夫、大丈夫ですよ」


自分に言い聞かせるように、幾度も呟く。大丈夫、大丈夫だ。
つらそうに睫毛を震わせるホウプを見て、アークレインはそれを見て、ホウプの頬をぺろっと舐めた。


「元気だして。ホウプのこと、俺は大好きだから、だから守るよ」


ホウプは、アークレインの頭を撫で、その身体に凭れかかった。
温かい体温に、刻む鼓動。アークレインの身体から、それは確かに感じられた。
大丈夫。みんな、守ってみせる。
小さくホウプが呟いた言葉に、アークレインは悲しそうに目を閉じた。胸に突っかかる違和感。ホウプの言葉を否定したいのに、それを上手く言葉に出来ない歯がゆさに、アークレインは俯いた。そして、言葉にできないこの感情が少しでも伝わればいいと、ホウプを抱き締めた。
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