‡ZERO‡

Act.11 そして聖者は彼を犯した
3ページ/17ページ

教室に戻ると、あの男の姿はもう無かった。そのことに安堵しながら、ホウプはゆっくりと席につく。じんわりと手のひらに汗がにじんでいて、少しだけ苛々した。いまだに残るあの男の痕跡に、嫌気がさしてくる。
ふと、気配を感じて横を見ると、ルーシャが心配そうにこちらを見ていた。それに申し訳なくなり、ホウプは笑みをこぼした。


「大丈夫ですよ」


アークレインのときと同じように返すと、ルーシャは眉間に皺を寄せた。
そして、何か言いたそうに口を開いたが、少し躊躇して口を閉じた。その仕草がアークレインとよく似ていた。
自分は何かしてしまったのだろうか。ホウプは、ルーシャにもう一度笑ってみせる。


「ホントに大丈夫ですよ。心配しないでください」


ルーシャは元の無表情に戻り、再びホウプを見上げた。


「うまく、言葉にできない。でも、ホウプと、私、友達」


ぶつぶつと何か伝えようと言葉を漏らすルーシャの思いを汲もうと、ホウプは必至にルーシャの言葉を拾っていく。しかし、断片的な言葉だけではその思いが理解できなかった。
そうこうしているうちに、リリィが教室に姿を見せた。


「あ、ホウプ。大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「そっか、よかった」

ほがらかな笑みをこぼしながら、リリィは二人に近寄った。


「さっきの先生、すごい人気だったよ。わかりやすいし。オペラさんなんか、さっきファイル運ぶの手伝ってたし」


その言葉に、ホウプは思わず椅子を跳ね飛ばすほどの勢いで立ち上がった。
こんなことになるくらいなら、無理してでも授業が終わるまで席についていればよかった。
ぐっと喉が鳴ったのを感じながら、ホウプは教室を飛び出した。
どこにいるんだろうか。3階に姿は見えなかった。慌てて階段を駆け降りる。二階の突き当たり、使われていない生徒指導室の前で青い髪を見つけ、思わず胸倉を掴み上げそうになったが、それを抑えて慌てて走る。男の手がカギを取り出し、ドアを開こうとしているのを見て、気持ちが逸る。下手に部屋に入れてしまえば、隣にいるオペラに危害が及ぶ可能性がある。部屋に入る前に、なんとか止めなければ。
がちりとカギが開いた音と同時に、ホウプは男の背中にぶち当たった。


「今日のプリント、ください」


吐き出すように漏らした言葉が、いやになるくらい上擦っていて、ホウプは顔を伏せたまま、泣きたくなった。男を引き留めるために伸ばした手が震えている、情けない。


「ああ、いいぜ。あ、ありがとな、こいつに運ばせるから大丈夫だ。悪いな、手伝わせて」


ゴートはオペラに向かって笑いながらそう言い、ファイルをその手から退けた。オペラは、少しだけ顔をゆがませたが、一礼すると教室の方へ戻っていった。
ぜぇぜぇと荒い息をするホウプを気にもとめず、ゴートはさっさとドアを開けて中に入ってしまった。ホウプは眉間のしわを深くしながら、部屋に入ると乱雑にドアを閉めた。そして、その瞬間ゴートが緩く締めていたネクタイを引っ張り、軽く首を絞める。


「どういうつもりですか、貴方」

「いいのかよ、品行方正な優等生が先生に暴力振るって」


ゴートは、肩を竦めてゆっくりと目を細めた。怪訝に思う暇もなく、背後でカギの閉まる音が響く。それに気をとられた一瞬の間に突き飛ばされ、ドアに背中を打ち付けてしまった。ドアが軋み、派手な音を立てる。
痛む肩を押さえながら、冷静さを失った頭は無意識に逃げ道を探す。後ろ手で、ドアの鍵をこじ開けようとするが、ガチャガチャと派手な音をたてただけだった。
そんなホウプを横目で見ながら、ゴートは気だるげな動作で珈琲を淹れようとするが、伸ばした手をやはり、緩慢な動作で引っ込めた。


「ボーズ、珈琲淹れてくれよ」

「ふざけないでください」

「豆からは面倒だろ。不味くてもいいなら淹れてやるぜ?」


ホウプは苦々しげに顔を歪め、些か乱暴にフラスコを手にとった。
先程の言い種だといれかたは知っているのだろう。しかし、行程を面倒だと一蹴し、あまつさえ手抜きで不味くていいならと宣っているのだ。あまりの苛立たしさに、ホウプはアルコールランプをぶん投げてやりたくなった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ