‡ZERO‡

Act.12 天使は二度笑う
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ホウプは、ふらふらと自室に転がり込んだ。嗚呼、煩悩とは何と厄介なことか。大好きな詩人は言っていた。そう言うときは頭で考えるなと。しかし、そうは言っても頭は人の意見を無視して思考を始めてしまうのです。
成程、偉人や作家が煩悩を悪としてきた理由がわかった。
ぐだぐだと要らぬ思考を続けてしまうホウプを起こすように、鳥の鳴き声が聞こえてきた。ゆるゆると首を動かすとそこにいたのは、足に手紙を結わえた真っ白な鳩だった。
丁寧に手紙を外すと、そこには神父の几帳面な文字が並んでいた。目が滑るような賛美の言葉を抜けると、今から出てこれないかという内容が書かれていた。
どうしようかと惑ったのは数秒。すぐに今から向かいますという旨の手紙を書き上げ、鳩の足に結わえる。
鳩が飛び立ったのを見届け、ホウプは団服を羽織るとすぐに部屋を後にした。
シエルザードに一声かけていこうと思ったのだが、団員達と談笑に耽っていたため止めにした。
あまり時間がかかるわけでもない。夕方には充分戻ってこれる。帰りに買い物をして帰れば、いつもより余裕が出来るかもしれない。
頭の中でざっと夕方までの予定を組み立てながら、神父のもとへ急ぐ。
崖をのぼり、森を抜ければ町の外れに出る。賑やかな町の雑踏に慣れきった身体は、勝手に人の波を潜り抜けてしまう。しかし、雑踏に紛れてしまうと殺気や目線に気づきにくくなってしまうのはいただけない。
ふいに後ろから伸びた手に裏路地に引きずり込まれた。
慌ててその手を振り払うと、見慣れたデルタ帝国軍の軍服が見えた。引きずり込まれる時に薬をかがされたが、流石に二度目となれば瞬間的に呼吸をとめることができた。しかし、僅かながらに吸い込んだ薬が身体の動きを停滞させてしまっている。
いい加減にしてくれないだろうか。最近、なんだかんだでデルタ帝国の兵士達に追いかけ回されている。武器がないため、大概はシエルザードが追い払ってくれているのだが、今日はそうもいかない。
魔術陣の制御なしで魔術を使いたくないが、仕方がない。
数人の兵士達と向き合い、魔術を使役するために緩やかに力を解放する。背中から力の象徴である、不思議な色合いの羽が現れた。
地面を踏みしめ、身体を浮かせた。その瞬間、後ろから吹いた風に身体を掴まれた。

「おいおい、早速命令無視か」

ぶわりと後ろから闇が吹き上がり、デルタ兵達を締め上げた。首を締め上げられた兵士は、苦しげに噎せながら闇を振り払おうと足掻く。しかし、抵抗は無駄に終わり、余分な空気を使ってしまっただけだった。
ホウプは、反射的に後ろを振り返り、そこにいた人物と距離をとった。
ゴートは、ホウプのあからさまな警戒を笑いながら、兵士達に向かって足を踏み出した。
ぎちりと音をたてて闇が兵士達を締め上げる。

「殉職は、二階級特進だったか?そんなに仕事熱心なら本望だろ」

ゆるりとゴートの指が動く。
それを視界に捉えた瞬間、ホウプは思わず飛び出していた。伸ばした手がゴートの腕を掴むのと、闇が大振りの剣によって引き裂かれたのはほとんど同時だった。
驚くホウプとは反対に、ゴートは肩を竦めてため息を吐いた。
漆黒の鎧を纏った騎士が、倒れこんだ兵士の間をすり抜けて二人の目の前に立った。
黒騎士は、惨状を見回すとゴートをじっと見据えた。恐らく、兵士達を殺そうとしたことを咎めているのだろう。暫くそうした後、黒騎士は礼でも言うかのようにホウプの頭を優しく撫でた。
思いの外優しい手つきに、ホウプは恐る恐る顔を上げた。今まで怖くてあまり見上げたことはなかったが、黒騎士の背丈やら体格やらが団長に似通っていることに気がつき、思った以上に気を抜いてしまった。すりすりと無意識に黒騎士にすりよってしまう。しかし、それを咎めるでもなく黒騎士はさらにホウプの頭を撫でた。
黒騎士は、一通り頭をなで終わると兵士達を抱えあげた。その足元には魔術陣が浮き上がり、発光しながら光の粒子を舞い上げる。
ゴートは、やる気無さげに手近にいた二人の兵士の首根っこをひっ掴むと、ずるずると引きずりながら魔術陣の中へと入った。
どうやら今日は推進派の強行を止めにきただけのようだ。ほっとして息を吐き出したホウプの頭上に、なにかが投げつけられた。
対した痛みではないが、頭から転がり落ちてきたのはシンプルな銀の指輪。意味が分からず顔をあげれば、翡翠の目とぶつかってしまい息をのむ。

「あの赤い髪のお兄さん、気を付けた方がいいと思うぜ?」

「…どういう、意味ですか」

ゴートは、ホウプの手の中にある指輪を指差しながら、悪戯っぽい笑みを浮かべた。そして、御守りと楽しげに笑い、魔術陣の中へ吸い込まれていった。
誰もいなくなった路地裏で、ホウプは一人神妙な面持ちで指輪を睨んだ。
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