‡ZERO‡

Act.5 記憶の懺悔
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真っ暗だった。
世界は暗闇に覆われていて、光など存在しない。
気がついたら、少年は路傍にゴミのように打ち捨てられていた。ボロボロの布切れのような服には血が纏わり付いていて気持ち悪い。
名前も、歳も、何故こんな所にいるのかすら分からなかった。ただ、目の前を通っていく人々は路傍でうずくまる存在など気にも留めていないことは明らかだった。
世界は果てしなく暗闇に覆われていて、そこに差し込む光などない。
外気が肌を撫で、身体が震えた。
寒い、暗い。誰かを呼んでいた気がする。大切な誰かを。しかし、今更そんなことどうでもよかった。
多分、このまま此処で死んでいくのだろう。死神が現れるのかもしれない。真っ黒な外套を身に纏った死神。命なら喜んで差し出そう。だから、ここじゃないどこかへ連れていってほしい。
金色の髪が、悪戯に頬を撫でた。その感覚すら拒絶するように目を閉じる。
そんな時、誰かが目の前に立ち止まった。
ゆっくりと顔を上げると、死神とは似ても似つかない優しげな笑みを浮かべる男がいた。彼は冴えない表情で、少年に手を差し出す。
おいで、一緒に行こう。彼の唇はそう言葉を紡いだ。
少年は目を見開き、戸惑うように後ずさる。知らない、そんなことは知らない。与えられるものなど知らない。この世界は奪われる悲しみだけで形成されていて、与えられる優しさなど要らない。
男の手がゆっくりと伸びてくる。その指先が首を締め上げたなら、どれほど楽だっただろう。この男に殺されるなら本望だ。
けれど、彼の指は優しげに少年の肩を掴み、ゆっくりと暗い世界からの別れを告げた。抱き抱えられた瞬間、二人の目線が交差する。


「もう大丈夫だよ。僕がついてる。一緒にいるから」


廃れた街を歩いていく。崩れた瓦礫かと目を疑うような建物。それが彼の家だった。
温かいご飯と、あたたかい服。男は、与えられるものを全て少年に与えた。


「そうだ、君の名前はなんていうんだい?」


少年の金色を放つ髪を梳きながら、男はそう尋ねる。
しかし、少年の薄く覇気のない唇は強く結ばれた。やがて、弱々しい唇の間から知らないと、言葉がこぼれ落ちた。


「そうか。じゃあ、名前がいるね。よし、僕がつけよう」


少年のぼさぼさに広がっていた髪に鋏をいれながら、男は喜々として名前を考えだした。
ぱさり、ぱさりと切られた金色が床に落ちる度ぱっと花のように咲く。色彩のあまりないこの空間でそれは、はっとするほど綺麗な金色を宿していた。


「ホウプ……ホウプはどうだろう?」


好きな小説の登場人物から拝借した名前だと男は言った。そして、切り終えた髪を満足そうに眺め、鋏を戸棚へしまいこむ。
正直、名前がどんなものであろうとよかった。彼がそれを与えて、優しく呼んでくれるなら。
ホウプは、動かない筋肉をゆっくりと動かして笑う。今まで、表情を変えたことがないかのように顔の筋肉が強張っていたので、変な笑顔になった。
世界は暗いままなのに、彼だけは輝いている。磔りつけていて、繋ぎ止めていて。今、目を開けてしまえば、また暗い世界に突き落とされる気がして怖くて必死に目を閉じた。
縋るように掴んだ男の手。お願いだから、離さないで。
抱きしめられる感覚に瞳から水が零れた。目から溢れる雫の意味なんて、その時は知りえなかった。


「僕が君のお父さんになるから。君を守るから、一人になんてしないから」

「ありが…とう。お、父さん……」


たどたどしくそう呼べば、父は嬉しそうに笑った。
静かに二人の生活が始まった。
質素で今日たべていくものにすら困るような生活。けれどこの時、間違いなく幸せだった。手を伸ばせば、誰かが握りしめてくれる。それが、こんなに幸せだと知らなかった。
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